ウツクシイカゼ

□last day
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大失敗だった。



じゃーなって手を振って笑ってた顔が、みるみる崩れた。

え、なんのタイミングで泣くの?

「ユウちゃん」

呼んでしまって気づいた、これか。つい癖で出てしまった“オンナみたいに、コドモみたいに呼ぶな”の愛称。

まずい。
白い頬に手を伸ばして、乱暴に涙を拭ってやる。

「悪かった、ユタカ」

ああ結局、謝ってしまった。
たしかにおれが悪い。けど、2割くらいはユタカも悪いはずだ。せめて泣き顔が不細工だったら良かったんだ。
くそ、泣きたいのはこっちだ。

じゃあまたね、と嗚咽の合間に言いながらも、Tシャツの裾から手が離れていかない。

「悪かったって、落ち着け」

言ってから気づいた。
こうなるとおれの手にはおえないんだった。


ボロボロ涙を流すばかりで、ユタカは案の定泣き止まなかった。
すでに伸びきったTシャツから指をはがす。

何されると思ったのか、急に抵抗を始めたユタカの右手をとり、おれの左手に収める。



大丈夫。ここにいるから。
泣いてていいよ。



言葉にしたって意味はないから、口は閉じて手に力を入れる。



玄関に、並んで座り込む。リビングでしつこく鳴ってた着信音も、やがて途切れた。
幹線道路を走る車の音も、午前0時を過ぎて静まっていく。
聞こえるのは窓硝子を叩く雨の音と、ユタカの規則正しい息だけ。

あれ、こいつ、寝てる?
ちょっと指を動かすと、寝息にかすかな声がのった。赤くなった瞼は閉じたまま。

「ん…キヨ…」

泣きつかれて眠るってお前、大人の男としてどうなの。
そんなにかわいい寝言をいって、お前はおれをこれ以上どうしたいの。
寝てんのにこの握力ってなんなの。


痛えよ、まじで。
揺り起こして問い質したい気もするけど、しゃがみ込んだまま頬杖をついてため息。

疲れてたんだろうな、きっと。帰国したらすぐ研修って言ってたし、滞在が4日間だけってどんな強行スケジュールだ。

ふいに、揃った睫が動いて、茶色の目がおれを映した。
雨の音はどんどん強くなる。
車で送って行こうか。

繋いだままの手を引いて、立ち上がるように促す。


「ごめんキヨ。また順番間違えた」

涙はもう引っ込んでた。ちょっと赤くなった顔を気まずそうに逸らしながら、謝られた。

順番?

「キヨ、大好き」
「…うん」
「違うよ、そういう意味じゃない。嬉しくて、昔みたいにユウちゃんって呼ばれるの。ほんとに、好き」

うそだとは言わないけど、おれたちは、幼なじみだ。
友達と言うには近過ぎて、家族とも違っていて、恋人とは言えない、この関係を表す言葉は、やはり他にはない。


「どういう種類の好きなのかって、高校のとき、キヨは聞いたけど」

結論だけ言うとさ、答え出ないんだよね、と自分の膝に額を押し付けてユタカは続けた。

「ずっと考えてたんだ。あれからいつも、キヨのことばっか考えてた。種類とか意味とかはわかんないし、うまく言えないけど。キヨは、いてくれるだけでいいんだ」


意味、わかって言ってる?
口を開きかけて、高校生の頃の光景が脳裏に浮かんだ。ジャージやボールやマンガが散らかった、ユタカの部屋。

おれはあの頃も、たしかに同じこと聞こうとした。答えはわかってる。

こいつは何にもわかんないままで、思ったことを簡単に口にするだけ。


「わかんないけど、とにかくキヨが、大好き!」


俯いたままのユタカの耳が赤くなってる。なんだこいつ。こっちが照れるつうの。

横目でこっちを伺って、口を尖らせて言った。

「ここまで言ってだめなの?もう、キヨはおばかさんだねー」
「…ナオマサの物真似やめろ」
「キヨのいちばんはサッカーじゃん。サッカーにだけは負け認めるよ。でも、おれのことも好きだろ」

笑いを含んだ「もう、おばかさんだねー」の言い方が、うちの兄にそっくりだ。そしてまた話が飛んだ。


「例えば崖からさ、サッカーボールとおれ落ちそうになってたら。キヨ、迷わずボール取るでしょ」
「そこは普通にユタカ助けるだろ」
「うそだー」
「いや、人として」
ボール拾ってどうするよ。

「例え話、下手だったかな。とにかく!サッカーの次の座は譲らないってこと!つか、わかれよ!ちょっとはおれの言葉、素直に受け取って。宇宙人扱いしてないでさあ」
…宇宙人って、おれ口に出てたか?
「出てはなかったけど、顔見てたら分かるし。おれメールでも言ったよな、好きだって。返事も寄越さないし…バカキヨ」
メールは読まずに消した、たぶん全部。
「やべーって顔すんなよな。ゴール前で平気な顔してトラップかけてるやつが」

やっと顔を上げたユタカが、呆れたように言った。

「わかってるよ。キヨも同じように、思ってくれてることはわかってる。目ぇ見れば、手繋げば、言わなくたってわかるよ。自惚れ、じゃないよな」

何も言えないままでいるおれの陽に焼けた手を両手で包まれて、白い額に押し付けられた。

「でもキヨは、近くにいなくてもいいとも、思ってる。お互い知らないことが増えたって、おれに彼女ができたって、結婚したっていいって思ってる。わかってるよ。悔しいけど、おれのほうがキヨのこと、好きだ」

同じ景色を見ていたいんだ。感じることは違っても。
だってこんなにも大事なやつ、ほかにいないから。

目を閉じて、続いた言葉は祈りのようだった。小さな声を、聞き落としてはいけないように感じた。


「いてくれるだけでいいんだ、本心だけど、できればもっと近くにいたいんだ」

こういうことも、したいって思うし。指先に唇を寄せて、おれを見据えたユタカの目に、熱を見つける。
おれの熱を映してるだけなのだろうか。




あの日、ちゃんと別れて、いまはそれぞれの道を歩いている。

同じ景色を、見ていたい。

こんな気持ちは、口に出した途端に嘘になってしまうような、夢だ。



違う景色のなかにいるお前が、もし同じ夢を見ているのだとしたら。


「何度だって言うよ。ずっと、一緒だ。キヨ、大好き」


繋いだ手を引き寄せて、小さな声ごとユタカを抱きしめた。









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