夢をみるひと

□Loser【3】
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春から続けていたアルバイトは辞めることになってしまった。

サッカーに専念したいとキヨヒトが告げると、建設現場の棟梁はやれやれと大きく息をついた。



「働かせてくれっていきなり飛び込んできたわりに、あっさり辞めんのか。はぁ、あん時は大した剣幕だったなあ。頷くまで帰らねぇ、なんて凄みやがってよ」
「すいません。迷惑掛けます」
「ったく、このクソ忙しい時にお前みたいのに抜けられちゃたまんねぇんだよ。どうしても辞めるってんなら、条件がある」
「条件、ですか」
「これからも、たまには顔見せろ」
「…はい」
「お前さえその気なら、卒業してから戻ってきたっていいんだからな。だいたい学生のうちはなぁ、労働じゃなくてスポーツなんかで汗流しときゃいいんだよ」


口調とは裏腹に、棟梁の目尻に寄ったしわはやわらかく、優しかった。


「なに黙ってやがる。聞いてたのかよ、わかったら返事!」
「ありがとうございます」
「ふん、何がありがとうだ。こっちは怒ってるんだよ。あと、試合は勝てよ。今の仕事が片付いたらうちの坊っちゃんを見に行くんだからな、早々に負けられちゃ困る」
「はい」
「ハイってお前、本当にわかってんのかぁ?今度の大会はあれか、全国大会ってやつか?」
「県大会勝てば、全国です」
「おお、じゃあまずは、県で優勝だな。しっかりやれよ」
「はい、優勝します」
「わははっ、嘘だっつうの!でも、それくらいの気持ちで臨まねぇとな!」


頼もしいなぁオイ、と肩に置かれた大きな掌に、キヨヒトは力強く頷く。

たとえ嘘だとしても構わない。迷惑も苦労も掛け通しだった自分を受け入れ、そして快く送り出してくれたこの人が、県大会で優勝しろと言う。しかも優勝すれば、頼もしいなぁなんて言って、笑顔を見せてくれるらしい。

キヨヒトにとって、戦う理由はそれだけで充分だった。



頭の中に、イメージする。

県大会で優勝する、岡宮商業高校サッカー部の姿を。

去年も見学に行った、県立北公園競技場。晩秋の風が吹き荒れる、緑のピッチ。応援団の太鼓の音、ぶつかり合う熱気、天高く抜けていく笛の音、ネットを揺らす白いボール。


中学時代からのチームメイトであるユタカに加え、今はオダシマもいてくれるんだ。


あとは信じて、走り出すだけだ。






***






それからのキヨヒトは、真面目に部活に取り組んだ。


周りをちゃんと見て、パスを合わせることもできるようになった。
強引にシュートを狙いにいくようなこともなく、サポートに徹することもできるようになった。

そうなれば、監督をはじめ周囲の評価は自ずと上がる。
一年生ながら、練習試合では先発を任されることも多くなってきていた。


(もともとの才能が化け物レベルなんだ。こいつが実力を発揮できたらマジで、敵なんかいない。やっと周りも気づき始めたか…)


ここへくるまでのオダシマの苦労は、並大抵のものではなかった。

放っておいたら一人でどこまでも突っ走ってしまう才能を、岡宮というチームで活かす方法を必死で考えた。
ともに走れるよう、自らもより一層練習に打ち込んだし、しつこく説教もしたし、場合によっては褒めたり宥めたり、言葉よりも先に手や足が出ることもざらだったが、根気良くキヨヒトのサッカーを育て上げた。


だが、苦労はそう簡単には終わらない。






「またヒライシ先輩、キヨのこといびってるな」
「あんなパス、受け取れるわけねーっつーのな。腰らへん狙い撃ちだぜ。しかもあのスピードで」
「そのボールコントロールを試合で活かせって話だよね。後輩イジメに使ってないでさぁ。だから最近、ベスト8止まりなんじゃねーの」


パス練習が繰り返されているグラウンドで、順番を待つ部員達がふたりを目で追う。
二年生のヒライシが次々に送り出す鋭いパスを、汗にまみれたキヨヒトが必死で受け止める。
最初のうちはうまくトラップしていたものの、徐々に疲労の色を濃くしたキヨヒトがついにボールを取りこぼしてしまった。


「今のは取れたボールだろ!」
「すいませんでした!」
「外周行って気合入れ直してこい!」


怒鳴り声を受け、ヒライシに駆け寄り二言三言交わしたキヨヒトは、そのまま校外一周の走り込みに行った。


「おう、おかえり。さっき何話してたんだ?ヒライシ先輩と」

しばらく経って列に駆け込んできたキヨヒトに声を掛けたが、軽く手を挙げられただけで返事はなかった。息が上がってしまって言葉にならないようだ。
その肩を叩いてやり、オダシマはボールを持って走り出す。

またしても背後から響いた、キヨヒトへの上級生達の怒鳴り声に、もうため息も出ない。




(だいたい、キヨヒトだって悪いんだ)


乱暴なパスをヒライシが寄越せば、取れるかどうかギリギリの高さのパスを送り返しているのだ。

(泣くなり凹むなりすればまだ可愛げがあるっつうのにな。しれっとやってのけるし、しかもやり返しちゃうんだから、先輩たちだってムキになるんだろう)

ヒライシが特別に、意地が悪いというわけではない。
部長を務める三年生のハルキも、特に注意などせず見守るばかり。
ほかの上級生達も次第に、自分の持つ実力を最大限に発揮してキヨヒトに立ち向かうようになっていた。


「しかしキヨのやつ、どうやってあんな風に止めてんだろうなぁ?ヒライシ先輩のあのきついパス。見てるこっちが怖いよね」
「あ、こうやればいーんじゃねー?膝で落として、足首使って、ホラ」
「そーかも。でも普通は、そんなん走りながらできないよ。もし試合でも使えたら、相当武器になると思うけど…」
「じゃあ、こう?あー違うか、やっぱこうか?マジあいつ、どーやってるわけ?」
「ヒライシ先輩はさすがだよなぁ、ウチじゃダントツ上手いもんね。足はそんなに速くないのに、キヨのスピードにちゃんと追いついてるし」
「だよなぁ、あれは何でなんだろ?走力じゃなくて、ボールを出すタイミングの問題かな?」


口々に言い合う部員たちが見守るグラウンドで、キヨヒトは人一倍汗だくになって駆け回っている。
練習の後半になると足がもたついていた頃に比べると、ヒライシのパスをしっかり受けられるようになっていた。

(毎日毎日あれだけの練習量をこなせば、スタミナが付いて当たり前か)

いびられるのはパス練習だけではない。
地味な筋トレやランニングも、指示される量が以前より明らかに多くなっている。
キヨヒトは文句も言わず頷くし、表情一つ変えないのでいびり甲斐が無いのだろうか。
いつの間にやら部員全員が、キヨヒトと競うようにきついメニューをこなすようになっていた。

練習試合などとなればもう、狭い校庭がまるで、国立競技場に変わったかのような気迫に満ち溢れる。



岡宮商業高校サッカー部は、今までに無い緊張感に包まれていた。
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