夢をみるひと

□Loser【5】
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「はぁー?そんな理由でサッカーやめちゃうの?」

部活を終えて帰宅したオダシマは、なぜかアパートの狭いキッチンに立つアユミに迎え入れられた。

おれたちとっく別れたはずだよなと問い詰めることと、香ばしい匂いに反応して鳴った腹とを天秤にかけたのはほんの一瞬で、オダシマはすぐに夕食をとった。
合鍵なんて渡した覚えはないぞ、という言葉はとりあえず飲み込んで、皿をテーブルに並べながら他愛のない雑談をしていた。
和やかな雰囲気だったはずなのだが、進路の話になったとたんアユミの機嫌が急降下したのだ。

「天才に敵わなくても仕方ないとか、弟の面倒みなきゃとか、そうやって言い訳作って、勝手に諦めて逃げてるだけじゃん。あーもう、ださい!そーゆうのマジださいっ!」
「ダサイって言われてもな…」
「もっとちゃんと、最後まできっちり頑張りなよ!アツシなんて、サッカーしか取り柄ないんだから!」

口喧嘩で勝ち目など無いことは、とっくにわかっている。
文句を捲し立てるアユミに適当に相槌を入れつつ、突き出された茶碗を受け取ったところで「お兄ちゃん、おかえりなさい」と廊下のほうから控えめな声がした。
少し前から様子をうかがっていたのだろう、おずおずと入ってきたのはシンジで、その後ろに「おじゃましてます」と続いたのはキヨヒトだった。

「おじゃましてます、じゃねえよ……アユミといいお前といい、なんで当たり前みたいに家にいるんだよ」
「あのね、アユミちゃんにはおれが鍵渡したの。キヨヒトは、帰りにたまたま会って……お腹減ってるみたいだったから、連れてきた」

シンジは早口でそう言った。まるで野良犬でも拾ってきたかのような言い方だ。アユミはしゃもじを握り直して支度を続ける。

「だいたいね、引っ越したならそう言いなさいよ。あーもう、イシカワはいいから大人しく座っててよ、どうせまた怪我してきたんでしょ?てゆうか、ハンパに手伝われても邪魔なだけだから!ほら、アツシはさっさとお茶碗並べて!」

怒りはかんたんには収まらないようだった。
弟とふたりで住むには広すぎる家を出て、オダシマ建設が所有する小さなアパートに移り住んだことを、アユミはどこで知ったのだろう。鍵の件といい、シンジといつの間にか会っていたのだろうか。
いつの間にかといえば、キヨヒトもそうだ。子ども同士で波長が合うのか、気づいた時には打ち解けていて、シンジの部屋に泊まっていくことも最近では珍しくなかった。
何もかも、オダシマの知らないところで事が運んでいく。

「諦めるなんて、冗談でしょ?まじ意味わかんない、どうしてやめちゃうの?天才と自分とじゃ違い過ぎるとか、本気で言ってんの?」

味をおおげさに褒めながら食事を進めたが、アユミの機嫌はなかなか持ち直さなかった。

「そもそも天才になりたくて、イシカワみたいになりたくてやってたことなの?そうじゃないでしょ?」
「シンジ、醤油とってくれ」
「ちゃんと聞いてよ!もーやだ、ホント信じらんない、ありえない、サッカーやめるなんてアツシ、ちょーださいんだけど!」
「アユミちゃんが言いたいのはつまり、サッカーしてるときのお兄ちゃんがいちばんかっこいいんだ、ってことだよね」
「なっ……」
「そうだよね、そう思うよね」

ほがらかに口を挟んだシンジの頬をつねり、怒鳴り出すかと思われたアユミはそのまま黙り込んだ。急に訪れた静けさのなか、各々は黙々と箸を動かす。「ごちそうさまでした!」と明るい声を上げてシンジが風呂へ行ったあと、沈黙を破ったのはキヨヒトだった。

「おれもそう思うよ。オダシマがいない試合はつまらないし。思いきり走れなくて、イライラする」
「…つうかキヨヒト、お前が着てるそれ、おれのジャージじゃねえか」
「うん」
「うんじゃねえよ、勝手に寝間着にしやがって。ったく、狭い布団で抱き枕にされちゃ、シンジだって迷惑だ」
「じゃあ、オダシマがおれと寝る?」
「嫌だよ、もっと狭いだろ」
「じゃあ、おれがアユミさんと…」
「ふざけんな!」

勢いよく立ち上がったオダシマを、キヨヒトとアユミはあっけにとられた表情で見上げ、顔を見合わせて噴き出した。
からかわれたのだとすぐ気づいたが、そのまま黙って椅子に戻るしかなかった。思わず荒げた声は焦りに上擦っていて、とてもじゃないが取り繕える気がしない。


後ろ頭を軽く一発、オダシマに叩かれたキヨヒトはリビングを出て行く。アユミも黙ったまま席を立ち、重ねた皿を流し台に置いてオダシマに背を向けた。
金色に染められたつやのある髪、念入りに化粧が施された長いまつげ。スポンジを握りしめたアユミの手を取る。派手な外見のくせに、爪はいつも短く清潔に整えられていた。そんなところもオダシマは、好きだったのだけれど。
皿洗いを代わろうとしたのだが、「アツシのそーゆう軽いノリ、やっぱ嫌い」と肘で容赦無く一撃された。「痛えな」という文句も鼻先でふんとあしらわれる。
アユミは本当に容赦なく力いっぱいぶつけたのだが、オダシマにとっては子猫がじゃれついているようなもので本当のところ少しも痛くない。避けようと思えばいくらでも避けられたし、やり返そうと思えばその華奢な腕など、片手でだって捉えて抑え込める。だからこそ、大事にしたいと感じたし、力まかせに傷つけたりしない方法で解り合えたらといつも思っていたのだ。

「何をそんなに怒ってるんだよ。サッカーのことは、アユミには関係ないだろう」
「………」

彼女の怒りの原因がまるでわからない。
もうとっくに新しい恋人がいるはずで、オダシマが進路をどうしようとアユミには関係無い。サッカーをしている姿が格好良い、なんて言われても、そもそもサッカーに打ち込み過ぎた結果、アユミは離れていったのだ。

「サッカーをやめるのは、高校に入る前から元々決めてたことだ。家の事情も、自分に才能が足りないってことも、今は納得してる。でも別に手を抜くとかじゃないよ、部活は真剣にやってる。今度の大会はスカウトも沢山視察に来るんだ、キヨヒトの将来のためにもおれは、精一杯やるし…」

思いつくまま並べた言葉はやはり的外れだったらしく、アユミは肩を尖らせたまま振り向かなかった。

「バカ。アツシはなんにもわかってない。ほんっとバカ」

一蹴されて、もう返す言葉も思いつかなかった。





シンジといっしょに風呂に入ってきたのだろう、タオルをかぶったキヨヒトが「そういえば」とリビングに顔を覗かせた。

「お前の弟、風邪でもこじらせてるのか」

拭いた皿を棚へ戻しながら、オダシマは「大丈夫だろ」とだけ答えた。
シンジは夕食を全部たいらげていたし、体調が悪いようには見えなかった。
以前、ベッドの周りに薬の空箱を散らかしていたことをオダシマは思い出す。あの時も別に、風邪をひいている様子など無かった。

「オダシマは、知らないんだな」

尋ねるというよりも念を押すように言う。

「それって、どういうこと?」

身を乗り出したアユミに、キヨヒトは首を振った。

「知らないなら、いいんだ」




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