階層毎のお客さん SS

□1階
1ページ/1ページ


 1階 突然のお客さん 








 ――ずいぶん昔の話。僕が『とお』になる前の話。
 僕には父がいた。母もいた。それなりに明るい家庭でのびのび育ち、ごく普通に育っていた。周りの工場が盛んで家に帰るときいつも煙突からモクモクあふれ出る廃煙を見て『この村ももう長くないな』なんて、子供っぽくないことばかり考えていた。

 ある日、いつも通り学校が終わって家に帰ると珍しく父が家に帰ってきていた。いつもなら僕が帰ってきて夕食時を過ぎたころに帰ってくる父だが、今日は僕より早く帰ってきていて、しかもきちんと靴を揃えていた。それを見た瞬間、僕は帰りの最寄りの工場の事を思い出していた。
 いつもおやつをねだりにリビングに寄るが、今日は覘くだけにした。部屋の机に紙を置き、静かに顔を伏せている二人がいた。いつもは「ただいま」と言っては入るこの部屋が今日だけ心霊スポットみたく異様な風景で、初めて挨拶もせず自分の部屋に急ぎながら、忍び足で駆けて行った。僕は『この家ももう長くないな』と悠長に考えていた。

 次の日には父は封筒と紙を置いて居なくなっていた。――いつもだって朝の早い父は朝から姿を見せない。いない、というよりは居なくなったという方が正しいと心の中で悟っていた――僕はこの日学校を休まされ、小さな役所に連れていかれ、母が深刻な顔で職員と話をしていた。その間僕は役所の椅子で座り、のんきに携帯ゲームをしていた。
 家に帰ってから母は家の中の物を片付け始めた。聞いてみればどうやら引越しをするからだという。家があるのに引っ越すの?と尋ねると、「ここより小さくて安いおうちに行くの」と言ったきり黙ってしまった。僕も自分の宝物の自分が初めて勝ちとったトロフィだけ抱え、それ以外すべて売られてしまった。母は悲しみもせず、そこそこの大金を大事そうにつかみ、父の置いて言った車に積んで少し田舎の物置みたいな家に引っ越した。そして、そのまま父の車も売り払った。

 トイレもお風呂もない、近くに川がある人気のない山。学校はまだ小学生だと言うのに退学させられた。
 だけど、毎日キャンプに来ている気分で僕はとても楽しかった。母は内職をしながら父の置いていったそこそこのお金と売り払ったそこそこのお金を僕の見ていないところでこっそり使ってホストに通い、家に帰っては「今日もお仕事疲れちゃった」と言ってきた。お酒の匂いに名刺、男の人と交わる気持ちの悪い行為をする写真がたくさん、僕や父の映っているかつての思い出のアルバムに挟まれてあるのを見て、僕は母の秘密を知っていた。僕は工場と、父の揃えた靴を思い出し、またいつもの癖で考えていた。


「この生活も、もう長くないな」



 ある日、まきを集めていて家に帰り、扉を開けた。すると、僕が手作りしたタンスを半壊しながら何かを必死に漁って探す母の姿が目に留まった。

「ない! ない!」

 引っ越し当初、車に乗る程度のものしか積んでいなかった僕達は大きな家具は持ってきていなかった。その時作ったのがこのタンスだ。幸い田舎の山の麓ということもあって木が沢山ある。倒れた大木の端を集め、あまり切れ味のよくないノコギリを使って、歪ながらも出来たのがこのタンスだ。鑢もないのでささくれは多く、寸法も測っていないので高さは不揃い。取っ手もそのあたりの曲がった枝をはめ込んだだけ。製作期間およそ一週間。利便性はほとんどないタンスもどき。
 だがこんなタンスでも、母はとても褒めてくれた。うちに立派なタンスが出来たと褒めてくれた。服を詰めたら糸が解れ、母のお気に入りの服が木のささくれが沢山刺さってしまっても、母はこのタンスは立派だと言ってくれた。

 そのタンスを、今、母は壊している。
 やはり気に入らなかったのだろうか? 僕は悲しむ間もなく、頑張って打ち付けた木が半分に割れ、腐って壊れていくのを傍から見守っていた。

「何よ! このタンス! なんで壊れるのよ! ああもう!」

 母はタンスに対して怒り散らし、髪を振り乱しながらすっかり崩壊してぺしゃんこになってしまったタンスを足蹴りする。僕は母が落ち着いたところでわざとらしく横を素通りし、「ただいま」と言って顔を窺った。

「…おかえりなさい」

 母は何も言わず、僕の顔も見ず、部屋の奥に行き、ごそごそと物音を立てていた。僕は壊れてしまったタンスの破片を拾い集め、薪としてくべてしまおうと思った。破片を集めているとき母は鬼の形相でづかづかとリュックを背負って歩き、家から出て行ってしまった。僕はその様子を何も思わず見守り、火を焚いたかまどに全て投げた。あとから気づいたが、服を入れていたであろうタンスの中には何一つ服が出なかった。タンスは全くの空っぽだということに。
 僕はぽっかり空いたタンスの場所にため息をつきながら自分の部屋に入った。昔撮った家族の写真のほうを見ると、飾っていたトロフィがなくなっていた。

 それから二日経っても母は帰ってこなかった。不思議と寂しいとは思わなかった。トロフィが無くなったところから何かを確信したような気になり、僕は母をそんなに愛おしく感じることもなくなった。元々無に等しかった感情がさらに無くなるという感覚は意外とあやふやなもので、『僕は本当にこの人に関心が無くなったのか? 元々関心なんてなかったんじゃないのか』と思ってしまうほど曖昧だった。

 崩れかけのドアが開いた。男の人が二人入ってくる。なんだか黒ずくめで嫌な感じがする。

「キミがカービィ?」

 一人がそう聞いてくるものだから僕は正直にうなづいた。もう一人の男が僕の手をつかみ、「行こうか」と言った。
 ああ、なんとなく察したぞ…。

「お母さんがお金の代わりに、ね。君をくれたんだ」

 驚いてはいない。悲しむ暇もない。遣る瀬無い気は少しあるけど、仕方がない。いったい、あの人は僕をいくらで売ったのだろう。手に抱えられないような札束なのか? それとも男に貢げられたらそれだけでいいような小銭なのか。それを知る余地ももうなくなった。
 さようなら僕のお家。さようなら僕の宝物。さようなら僕の壊れたタンスの燃えかす。どんどん離れていき、終いに見えなくなる。車に積まれ、田舎道からだんだん見たこともないような都会の光り輝く夜の街に運ばれる。夜なのに明るくてきらびやかだ。車は人気のないビルのような場所の前で止まる。看板は艶めかしい色をほのかに光らせながら、またパッとビルの一室の光が薄く光る。
 建物に連れられ、階段を降りる。つまり地下だ。その中の南京錠がついた檻のような小部屋に投げ込まれる。僕以外にも身寄りのなさそうな子供が何人もいる。みんな僕を見て――というより後ろの黒ずくめの男たち――をみて、震え上がっている。

「カービィ、今からそこがお前の家で、お前の部屋だ。お客に気に入ってもらえれば豪華な部屋になるから、たくさん頑張るんだよ」

 がしゃんと扉が閉まり、男たちが離れる。部屋の中の子供たちは10人くらい。小さく泣き、お互いがお互い干渉するわけでもなく、ただ身を寄せ合って寂しさを紛らわせているように見えた。僕は冷たい壁にもたれ、壊れかけのチカチカ光る電球を眺めていた。
 また扉が開く音がした。男が二人入ってくる。一人は子供の方に、一人は僕の前で立ち止まる。

「カービィ、30分だけおもちゃがたくさんある部屋で遊んでくれないか?」

 有無も言わせることなく僕の腕を引っ張り、連れ出す。もう一人の子は「指名だ」と言われ、必死に泣きながら抵抗している姿が見えた。

 連れられると、可愛い女の子のような部屋にはなされた。ぬいぐるみやおもちゃがたくさん落ちている。男はじっと側から眺めている。辺りを見回すが、部屋はとても可愛いが窓が一つもない少し恐ろしい部屋だった。男はテレビのリモコンからアニメをつけ、楽しませようとしている。30分だけと言われたからには、楽しく遊ぶことにした。しばらくすればまたあの冷たい部屋に戻されるんだと知っているから余計にだ。男はカメラで僕を撮影していた。何枚もパシャリパシャリと響かせながら遊ぶ僕の写真を撮っていた。

 用事が済んだのか、時間がきたから戻るぞと一言言われ、部屋の電気を落としてまたあの無機質で陰気臭い部屋に入れられた。先ほど抵抗していた少年はどこにもいなかった。

 ――そう、この部屋にいる子供はみんな男の子ばかりだった。何故かはまだわからない。
  
「ああ、はやいな」

 男が部屋の前でつぶやいた。そして扉が開かれる。子供たちはみんな怯えて部屋の隅で固まっている。だが、男は僕の目の前で立ち止まった。

「指名だ」

 さっき僕がおもちゃ部屋で遊べと言われた横で言われたあのセリフを、今度は僕に言ってきた。訳も分からぬまま手を引かれる。扉を出てエレベーターに入る。男はジャラっとカギの束を取り出し、エレベーターのボタン横にあるカギ穴に差し込み、回数のボタンを押した。エレベーターは錆び付いたワイヤーの音をぎりぎりと鳴らしながら階数が1、2、とあがっていく。暫く無言だった男が口を開く。

「カービィ。君は特別可愛いね。今さっき入ってきたばかりでもう指名が入るなんてとっても凄いことなんだよ」

 男は可哀想な畜生を見るかのような目で、それでいて口元は笑っている。

「このお仕事は初めてなんだろう? 簡単に説明してあげよう」

 男は密室の狭い入れ物だということをいいことに僕の体を撫でまわす。

「ただ喜ばせてあげればいい。お客と遊んでいてもいいし、机のお菓子を食べてもお話してもいい。そのうち、お客はもっと楽しい遊びを提案してくれる。君はそれに従って言うことを聞けばいいんだよ」

 頭を最後に撫で、男は棒つきキャンディーを僕に手渡す。口元で内緒の指差しをして背中をトントン押す。エレベーターが開き、到着したことを知らせた。                              
 
 

 2階


[戻る]
[TOPへ]

[しおり]