小説2

□時計の針は止められたままで
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 二人は緑の丘にいた。そこにそびえる一本の木を壁に、相対するように紳士と少年は木にもたれ掛かっていた。何をすることもなく、少年は桃色に光る太陽を眺め、紳士は両手に一輪だけの花を握りしめたまま、俯いていた。
 どちらの合図もなくして、最初に口を開いたのは少年だった。少年は背もたれがかった気の反対側にいる紳士に向けて、邪気ない瞳で呟いた。

「もしもさ、君が僕に触れたら僕が溶けて消えちゃうって体になったら

 どうする?」

 緑の丘には似合わないその台詞に紳士は戸惑っていた。少年はどこか寂しい表情をしながら、紳士の顔を伺い見ることなく、桃色に光る太陽をたんたんと眺めていた。
 水色に光る太陽がやけに眩しく、紳士は顔をあげられないでいた。

「そんなことは…ない」

 紳士は震える口元を隠すように仮面に手をやり、少しずれた仮面を定位置に戻した。

「事実だよ」

 無感情な少年の言葉に紳士は微動に反応した。馬鹿馬鹿しいと思い、紳士は自らの両耳部分を塞いだ。

「メタナイト。もう認めたらどうなの? みんなは認めたよ。あとはメタナイトただ一人なのに」

 紳士は未だ耳を塞いだままだった。少年は少し呆れたようにして、太陽から少し目を背けた。

「そりゃあ…最初は誰も認めようとはしなかったよ。だけどさ、やっぱ事実なことは事実なんだし、みんな何だかんだで認めてくれたよ」

 紳士は少年の言葉にずっと耳を塞いでいた。
 少年は紛れもない真実を語っていた。だが、紳士はそれに背いてばかりいた。
 少年はしばらく無言になった後、話題を変えることにした。

「でもさぁ、なんかこうして二人でいるの、久しぶりだよね」
「…あぁ」

 これについては紳士はすんなり認めた。少年は少し苦笑いをし、瞼を閉じた。

「ほら…、こうしたら僕、なんか空に溶けてしまいそうだよ。…いっそのこと、早くあの空と一緒に溶けて消えちゃいたいのに、どこかで強情はる人がいるからなぁ」

 少年は恨めしそうな顔をしながら紳士の背の方に振り向いた。紳士は相変わらず、少年の方に振り向きはしない。
 次第に空の色は白くなり、太陽の光は白の闇に飲み込まれていった。

「ねぇ、見たんでしょ?」

 問いただしても返事はない。
 少年はただ普通の、どこにでもあるような石を見つけた。少年はほら、と呟き、石に手を伸ばした。

「ほら」

 少年は石を手に取ることなく、その何も乗っていない手を紳士の横顔にまで突き出した。紳士は突き出された手を見て、不思議そうにその手を眺めているばかりであった。

「………もぉ、メタナイトが僕を認めてくれないと、僕悪い子になっちゃうんだよ。それでもいいの?」

 少年は半分本気で怒っているのか、頬を膨らまして紳士にしつこく訴えていた。紳士はそれでも少年の言葉を無視し続けた。
 ――信じたくない。
 紳士はただそれだけを頭に思い浮かべていた。

 時間はあまり経ていなかった。だが、紳士にも少年にも、この間の時間はとても長く感じられた。
 少年は紳士が自分に相手をしなくなったことで、そろそろ本気で悲しみを覚えはじめた。とはいっても、触れられたりなどの密着行為を望んでいるわけではなかった。否、もう触れてはいけない体となってしまったのだ。――少年の体は、溶けて消えてしまうからである。

 紳士は今になってやっと耳から手をどけた。
 外の世界の音が鮮明に聞こえる。
 鳥の声も、風の音も、川の音も、

 唯一聞こえないのは、少年の声だけだった。

「メタナイト、もういいでしょ? 僕、これ以上メタナイトに迷惑かけらんないよ」

 紳士は震えていた。もう、後ろを振り向けられない。

 そこに彼はいないから。

 紳士は気付いていたのだ。これが単なる自分の想像なだけであったと、もう、何もなくなってしまった事も。

「忘れてよ…」

 少年の泣き声がする。声は最小限に押し殺され、必死に我慢したような声が…。

 丘の下から、この村の住民と思わしき人物が通っていた。紳士が気付くより先に、その人物は紳士の存在に気づき、紳士の名を呼んだ後、丁寧にお辞儀した。つられるように紳士も軽くお辞儀をした。



「半年前は惜しいヒトが亡くなってしまいましたねぇ…」



 紳士はその言葉に反応した。同時に紳士は耳を塞ごうとした。
 ――が、それを止める感覚のない手の感触があった。
 …少年は紳士の耳を塞ぐ行為を止め、優しく手を握っていた。

「お願いだから、こっちを見ないで…あっちを向いて…」

 少年が紳士に触れた手は溶けるように消えていく。紳士は言葉もままならない状態でそこでカタカタと震えていた。



「カービィさん、今天国でゆっくり過ごしているんでしょうかねぇ…」     



 紳士の中で何かが砕ける音と、少年の体が一瞬にして光になった姿がそこにあった。



 紳士は今まで、少年の死を受け入れられずにいた。その影響なのか、紳士は先日まで少年が生きていると信じて疑わなかった。
 紳士の中で生きていた頃の少年の面影を現実世界に妄想として生き返らせた。

 紳士もどこかでそれに気付き始めていたのだろう。妄想として生き返った少年の姿は今はなく、声も温もりも、何もかもがここからなくなってしまった。

「…カービィさんをよく可愛がっていた貴方なら、余計に受け入れられなかったのではないですかねぇ。おや、もうこんな時間ですか。それでは私はこれで…」

 農家のものと思わしき人物はせっせと道具を押し車で押しながらそこから去っていった。

 空は青い。もうどこを見渡しても少年の姿はなかった。

「今日は…どこへ行こう…か」

 何処かで太鼓を鳴らすこうな音が聞こえる。紳士は落ちているリンゴを手にし、ゆっくりと自分も丘の下へ降り、太鼓のような音がなる方へ歩きはじめた。








 愛する人のしよりも受け入れたくないものはないですね



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