週末明暗京―文かたり―

□馴れ初めは騒がしく
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 そろそろ申の刻になろうという薄暗い渡殿を善男は足早に歩いていた。

 ――この時間帯は嫌いだ。

 この時間帯には、周りは宴の誘いばかり話している。大抵が二人、三人で話をし、一人でいる者はまだ仕事が残っているような者か、善男だけ。

 生まれつき目付きも悪く、人付き合いも苦手な善男にはそういった宴の誘いの話も来ない。自分から誘いの話をすることもない。

 周りを見ないように俯きがちになりがら、自分の邸へと急ぐ。顔を上げれば、きっと恐れるように遠巻きにこちらを見る誰かの視線と目が合うだろう。それが一番嫌いだった。

 不意に、視界の隅を大きな影が掠めた。視線を向ければ、小野篁と藤原良相がなにやら話していた。良相はともかく、長身の小野篁は目立つ。彼らは人一倍人目を引く。

 彼らもおそらく他の人と同じように、宴の話をしているのだろう。

 そう推測し、善男はその場を過ぎ去ろうとした。彼らの話を邪魔するつもりは微塵もないし、理由もないし、興味もない。

 溜息一つ吐いて善男は数歩歩き出した。しかし、立ち止まって振り返る。後ろから声を掛けられ、呼び止められたからだ。

「伴善男殿?今帰り?」

 藤原良相が微笑んで手招きしていた。

 忙しい訳でもないのに断るのは気が引けて、善男は彼らに近づいた。善男が来ると良相が勝手に喋りだした。

「実はさ、今から篁のとこでちょっと飲みたいねなんて話してたんだよ」

 篁が目を眇めた。その眉間に皺が寄る。

「違う。お前が勝手に俺の邸に来るなどと話を進めていただけだ」

「良いじゃないか、飲もうよ。どうせお前暇だろ?仕事無いだろう?」

 良相の言葉に、善男は首を傾げた。ここで話をしているのだからもう篁には仕事など無いはずなのに。しばらく考えて、善男はああと合点がいった。自分は気にも留めなかったが、しばらく前に宮中に流れた噂があった。

 ――小野篁は夜な夜な冥府に下り閻魔大王の補佐をしている。

 現実味のないおかしな噂だ。それを良相は信じきっているのだろう。そう善男は思った。

「ないからここでゆっくりしていられるのだろう。で、どうするんだ」

「え?暇だからお前のとこで飲もうかなって。」

 どうしても場所が自分の邸からそれないので、仕方ないという風に篁は嘆息した。

 そんな彼らの様子を静かに見ながら、善男は彼らを羨ましいと思った。自分も、こういった気安く話せる存在があればいいのに、と。

「善男殿はどうする?もう仕事ないのでしょう?」

「あ、いや、もう仕事は無いが…」

 はっと我に返って善男はどもりながらぎこちなく答える。

「善男殿も来るか?このアホと二人だけでは少々つまらない」

「アホって俺は頭良いんだぞ!舐めるな!…イタタタ、痛い痛い!」

「では日常生活での奇行を改めろ。どうする?来るか?」

 掴みかかろうとする良相の頭を押さえつけて篁に訊ねられた善男は頷く。

「ご一緒させてもらう」

 良相が押さえつけられた頭を擦りながら笑った。

「じゃあ、篁のとこに酉の刻に集合てことで」

 それだけ言うと良相はもの言いたげな篁に気付かないふりをしてあっという間に帰っていった。

 篁は半ば諦めたようにまた嘆息すると、善男を見る。

「まぁ、そういう訳だから酉の刻に。悪いな、あのアホの暴走に付き合わせてしまって」

「見てて楽しいから別に良い。酉の刻だな」

 時刻を確認すると、善男は篁と別れた。

 日はもう大分落ちている。急いで帰らなければ、遅れてしまうだろう。家路へと急ぎながら、善男は口元をほころばせた。
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