「やさしい雨」の部屋

□やさしい雨 その4 中庭の雨
1ページ/1ページ

 「ゆっくりお話できましたか?
あなたは、あの方の恋人なのですね」

「そうだったら、どんなにいいか。
昔からあの人には、ふられっぱなしだ」


『おや』


と院長は思った。


先ほどは熱る雄そのものといった感じだった
若い軍人が、今は急に傷ついて拗ねた
餓鬼大将のように見える。



「あの方は

『自分は人の犠牲で生かされた身だから
孤独を受け入れることなどは、なんでもない』

と、一度だけ漏らされたことがあります。
でも、お寂しいと思いますよ。
それに、わたくしとしては
今をときめく、あなたのような方の愛人だ
という噂でもたてば、良いと思うのですが」


「なんだって!」


アランは立ち止まった。


回廊には、小さな洒落た喫茶室や
花屋、小間物屋、床屋までもが点在している。


「この療養所へは
皆様、一生、生活に困らないだけの財産を
持って入られます。
そして、そういう方々の大半にとっては
結局、ここは療養所ではなくて
一生を過ごす保養所になってしまうのです。

外の世界へ出て行くことに
臆病になってしまうのでしょうな。
わたくしも、努力すれば治るのに
無気力に身を持ち崩して
ここで一生を終えていく男女を
大勢見てきました。
もちろん、あの方は違います。
そういう輩を軽蔑していらっしゃいます。

でも、まだあのように十分若くて
魅力的な方には誘惑者も多いのですよ。
あの方は歯牙にもかけませんが」


「聞き捨てならねえな。
そんな不埒な輩がいるのかい」


「あの方は今まで夜這いに来た男性患者を
3人投げ飛ばし、他の2人にはよく研いだ爪で
顔に引っかき傷をつけました。
実に強い方です」


『おいおい
強い方ってのはそういう意味かよ・・・』


「あの、一見、儚げな風情に
男は、まどわされるのでしょうな
誠に強い女人です。

でも、本当に勇気がいるのは
ここを出て行くときなのですよ。

そのとき、あなたのような
今をときめくような方が
そばにいれば、心強く思われます。
きっと頼りにされます。
ですから、これからも時々
訪ねて差し上げて欲しいのです」


アランは褒められて得意になった
男の子のように鼻をこすった。


『そうだ、惚れた女の言うことだからって
大人しく聞いてなけりゃならないって道理は
ねえ。

アンドレ、おまえも
そうとう頑固だったよなあ』


彼は、晴れやかな気持ちで
回廊に囲まれた
中庭の上に広がる空を見上げた。


「よい雨ですな。
このような、やさしい雨は、患者の呼吸を
助けます」



「本当だ。やさしい雨だ」



ふたりの男は並んで空を見上げていた。



           やさしい雨 おわり

                2013.3.1

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ