「やさしい雨」の部屋

□幼なじみ その2 噂
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 少年がポタージュを卓子に置いて
去って行くと


「可愛い子だ」


と、老けたキューピッドがつぶやいた。


「わたしに話とは?」


「ご婦人が
とくに美人がひとりで食卓に着いていると
かなり目立つ」


「いつもは女中に、部屋に運ばせているのだが
あいにく隙をとっているのだ」


「では、どこかの卓に着けばいいのに
あなたのような魅力的なご婦人なら
どこでも大歓迎だろうに。
おひとりでいるのが、お好きなのですか?」


「べつに、そういうつもりは、ない」


『ひとりぼっちに慣れていないだけだ』

と彼女は心の中でつぶやいた。

大勢の中に入って行くとき、よけいに
ひとりぼっちになった気がするのだった。


「よろしいですか、奥様
お気を悪くなさらないでくださいね。
ここは療養所という一般社会からは
隔てられた場所ではあるけれど
ここにも暗黙のルールというものがある。

たとえば・・・

昼食時にはこういう服装
夕食時にはこういう服装
何曜日の夜なら、この程度の軽装は許されるが
何曜日の夜ならいつもより少し改まった服装で
とか

B・・夫人の取り巻きは
あちらの卓の席を占め
R・・男爵夫人の取り巻きならば
こちらの卓に席を占める、とか

誰かの誕生日には、お菓子とシャンペンが
配られて、乾杯のときは、いつもより少しだけ
杯を高く長く上げる、とか

何曜日の何時から、どこぞの部屋で始まる
朗読会には
よほどの事情がないと欠席できないとか・・・

そういう暗黙のルールが自然に出来上がって
いる。

それなのに、あなたはどこにも顔を出さないし
どの取り巻きにも加わらないし
取り巻きを作ろうともしない。
恋人さえ作らない。
そのくせ、下働きの者たちや庭師とは
気軽に口を利く。

そして、その尊大な態度としゃべり方
その男装、ここではかなり目立つ。
皆がいったいあの女は何者なのだと
噂している」


「・・・暇だな・・・」


彼女はため息混じりに呟いた。


「ああそうです。
要するに、暇なのですよ。
ところで、皆があなたのことを
なんて噂しているかご存知ですか?
教えてさしあげましょうか?」


「ちょっと、興味がわいてきた」


「元女軽業師ですよ。
凄く成功したが
成功と引き換えに、拒食症になって
身体を壊したらしいって」


彼女は思わず吹き出してしまった。
その、度外れて大きな笑い声に
人々が驚いて振り返った。


「やっと、笑っていただけた」


彼は、彼女の、男の子のように
屈託のない笑い声を、好ましいと思った。


「そんなに周囲から浮き上がっていたとは
知らなかった。

大勢の人たちと一緒に生活しているところで
ひとり雰囲気を乱すのは、良い事ではないな。
反省して、これからは出来るだけ
愛想よく振舞うことにするよ。
いろいろ教えてくれて、ありがとう」

彼女はまだ、苦しそうに胸を押さえながら
くっくと笑っている。

笑うと眉と目尻が下がって
意外なほど素直で優しげな顔になる。
それに、尊大で無愛想な
取り付く島もないような女だと
思っていたのに、話してみると
むしろ同性と話しているときのような
気楽さだった。


『人は見かけによらないものだ』


と彼は思った。



    

       幼なじみ その3 につづく

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