とりどりの部屋

□黒揚羽
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 「あの事件から、
もうずいぶん、経つんだな」

日記をつける前に過去のページを
振り返ってみるということが、たまにあった。

彼女の日記は、何の変哲もない
古びた黒い革表紙の冊子で
見開きの右に、その日の出来事を
それに関しての感想があるときには
左にひとことふたこと書いておく・・・
といった簡単なものであったが
その出来事が起こった頃は、数週間に渡って
左のページはずっと空白のままで
右のページにしても

「・・・へ根回しを兼ねての表敬訪問」
「・・・へ調査の依頼」
「・・・へ突入」
「・・・を撤収」

などという事務的な言葉を走り書いたような
跡しか残ってなかった。

彼女は、急に疲れを覚えたのか
日記帳を綴ることを諦め、冊子を閉じ
机を離れ、長椅子に向うと
窮屈そうに膝を折って、そこにと横臥した。

すると、厳しく殺風景な執務室の一角が
いきなり華やかで淫靡で
落ち着かない場所に変わってしまったので
彼は慌てた。


そのポーズは
まるでトルコの風俗画の美人のようで
窓から差し込む日に
金色の髪が燃え立つように輝き
窮屈な長椅子の上で不自然に捻った腰の線が
くっきりと浮かび上がる。

肘掛に肘を立て、片頬にだけ頬杖を
ついているせいで片目だけが引きつれて
男を嘲笑しているような
挑発しているような表情になって
その顔で見つめ返されると
彼は、なんとも落ち着かないのに
当の本人は恐らく、気づいていない。


「・・・なんとも後味が悪い事件だった。
あのふたりが、金を持って
高飛びでもしてくれていたら
こんな後味の悪さは残らなかったと思うんだ」

「おや・・・
おまえらしくないことを言うんだな」

「ああ・・・
今なら、そんな風に考えられる。
当時は、わたしもそうとう
頭に血が昇っていたんだと思う。

元部下が引き起こした事件という事で
自分の手で何とかしなければと
躍起になっていたのだと・・・
ずっと、そう思っていたのだけれど
今にして思えば、なんと言うか・・・
自分を含め、貴族というものの恥部を
見せつけられ取り乱していた・・・
といった、ところだったのだろう。

ただ・・・人が人を狩り立て
追い詰めるというような任務は
つくづく自分には向いていない、と思ったな。
今もあの事件の事を思い出すたびに
後味の悪い思いに苛まされる・・・。

ところで、あの、例の首飾り
王妃様のお側に控えていたときに
一度だけ、目にしたことがある。
ひと目見ただけで肩が凝りそうだった。
ダイヤがじゃらじゃらと無数に繋がれて
こう・・・川のようにざーっと流れて
臍まで達するくらい・・・
なんとも趣味の悪い代物だった。
あんなもの好き好んで首に下げる女の
気がしれん、げんなりした」

「あはは・・・
通帳やら有価証券やらを首から提げて
歩くわけにもいかないじゃないか。
いやあ、あのデュバリ夫人なら
平然と首から下げていたかもなあ・・・。
ともかく、前国王陛下は夫人には
そのダイヤの首飾りが相応しいし
夫人が喜ぶとお考えになられたのだろう」


「・・・くだらんな・・・」


「まったく・・・」

ダイヤで全身を覆って
権を競う一握りの者たちがいる一方で
一日、ひとかけらのパンを手に入れる
そのことだけを熱望しいる大勢の人々がいる。
その様なことが秩序という名の下に
守られているという不可思議に
ふたりは同時に考え込んでしまった。


「・・・バロア家の末裔を名乗った女
ロザリーとは異母姉妹の間柄になるそうだな」


と彼が言った。


「ああ、それに一緒に育ったのだろう!?
どうして、ああも違ってくるんだ?」


彼女が不思議そうに言った。


「いや、似ているところもあるぞ。
躊躇なく新しい世界に
飛び込んでいくところなど」

「あまり、安定しているとは言えない
稼業の男とくっつくところもな。
あ、元義賊の熱血新聞記者と
詐欺師を較べては失礼か。

しかし、ロザリーには、わたしが
良縁を見つけてやろうと
思っていたのだけれどなあ・・・
もっと、しかるべき・・・」

「あはは・・・
それじゃあ、まるで頑固親父だ。
いいじゃないか、ロザリーが
自分で選んだんだ。
あ、もうひとつ似たところがある」


「どんなところ?」


「男を尻に敷くのがうまい」


「あはは・・・
夜盗を堅気にさせたのだものなあ
確かに尻に敷いていると言えるかも
しれぬなあ。

姉の方は・・・
たしかに、あの、ド・ラ・モットは
お世辞にも頭が良い男には見えなかったな。
女の方が主導権を握っていたのだろうな」


「首謀者はあの女のだったと思うか?」


「さあな・・・
しかし、少なくとも、脱獄してから後は
誰かに操られたと思う。
男はさらに、その女の手先に過ぎなかった。
しかし、あの頭の回転の速い女が・・・
おんなっぷりがよくって
頭も悪くないのに、何故あのような最後を
迎えなければならなかったのだろう。

一度は大金を掴んだのに
なんとか這い上がれなかったのかな。
わたしだったら、男を連れて
さっさと高飛びしているな。
そして、別人になって、何食わぬ顔で
どこか遠い、異国の空の下でひっそりと
気楽に生きている・・・
そういう結末だったならば
きっと痛快な事件だったのに」


「あはは・・・
おまえにも案外、悪女の素質が
あるんじゃないのか」


「そうか!?」


彼女が何やら嬉しそうに言った。


「あはは・・・冗談さ。
日記を読み返して反省したりする女が
宝石を騙取って高飛びしたりするか!?」


「それもそうだな・・・」


彼女は苦笑した。


「実は、俺も
あの女何だか憎めなかったな。

あの女、回想録なんて書きながら
嘘と本当の区別がつかなくなってしまったか
あるいは、もう少しだけ伯爵夫人
元王族の令嬢、元宮廷の貴婦人で
王妃の愛人という夢を
見ていたかったんじゃないか・・・」


───可愛い女じゃないか・・・。


ふと気がつくと、彼女は長椅子の上に
トルコの風俗画の美人のポーズのままで
目を閉じ、もう健やかな寝息を立てていた。


───男と女は不思議なものだ。
悪い女だからいい、という男がいる。
意気地のない男だからいい、という女もいる。
流され堕ちていくしかない
愚かで惨めな男と女でも

お互いの中に一瞬

やさしさを

哀れさを

男と女の真実を

ダイヤの原石を見たのかもしれない・・・。



彼は彼らを、うらやましい、と思った。

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