フローリアン君の部屋

□南海の孤島 後編
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 目の前の卓には、白い大輪の蘭の鉢が
置かれている。


「美しい花ですね・・・
これも、また、熱帯の花でしたね」


その花は、奇妙で優美で
取り澄ましていて
しかし、眺めていると


────どこか不機嫌で猛々しい・・・


と、彼に思わせるところもあった。

そして、それは
緑の葉にむんむんと覆われ、蔓に絡まれ
じっとりと湿り
熱の籠った
薄暗い密林の奥に棲む
野性の女の肌を、思い起させた。



────女の肌は蛇のように
ひんやりとしているに違いない。



「でも、とても気難しくて
弱いらしいの。
頂いたものの、気を使うわ。
『明るい日陰に置きなさい』なんて
いったい、どうすれば良いかわからないわ。
わたくしには園芸の才は、ないようだわ」


「密林に棲む美女を
宮殿に連れてきても
ただ、弱ってしまうだけなのでしょう」


貴公子は貴婦人の手から
茶器を受け取りながら呟いた。


「まるでヴィルジニーのような・・・」


「うふふ・・・
あなたったら、今は何を見ても
そんな風に思ってしまうのね。
実は、まだ、未練たっぷりと言ったご様子ね。
でも、なんとか納得しょうと
なさっている・・・」


貴婦人が微笑んだ。
初老の貴婦人がゆっくりと微笑むとき
優雅な書き眉が顰められ
細かな皺が寄りながら目尻が下がり
少し悲しげな
何とも優しいげな表情になる。


「・・・ええ
この内気な男が、勇気を振り絞って
求婚にでかけたくらいですから」

「ほほ・・・そうだったわね。
まあ、わたくしでよければ
とことん、お付き合い、いたしましてよ」

「それは、ありがたいお言葉・・・
奥様の、やさしさが
この心に沁み入ります・・・」


貴公子は胸に手を当てて、苦笑した。


「ああ、しかし、彼らは
南海の孤島の恋人たち、というわけでは
ないわね。
この宮殿で育ったのだから」

「ええ・・・
長年、彼らを見ておりましたから
少なくとも
彼女は、彼に兄弟以上の感情は
抱いてはいないと
思っておりましたが。

しかし、彼らはむしろ
長年、連れ添った夫婦のような
心境だったのかも、しれませんね。
長年連れ添い倦怠していた夫婦が
各々、心の中にしまったまま忘れ果てていた
南海の楽園の記憶を、わたくしが
呼び覚まして、しまったのかも」


「まあ、自虐的な言い方ね。

でも、あなたに求婚されて
まんざら、でもなかったと思うのよ。
わたくしには、十分、迷っているように
見えたわ」


「それは、解ります。
新しい服を見たら
鏡の前で、そっと身体にあててみない
ご婦人など、いないでしょう?」


「でも、彼女は服を脱ぎ捨てて海に
飛び込むことを躊躇するような女でも
なかったわね」


ふたりは笑った。


「でも・・・
あくまでも『夫婦のような』よ。
夫婦ではないのかもしれないわ。
まだ、お付き合いはあるのでしょう?」


「ええ、友人として」


「どのような?」


「廊下で出会えば、世間話を交わす。
街で出会えばお茶を飲む・・・
その程度の間柄です。
元に戻っただけです。
いや、もしかしたら、これは昇格かも
しれませんね。
元副官、元婚約者から『友人』ですから」


「おやまあ・・・」


「彼女が、わたくしに示してくれる
友情の分だけ
わたくしも友情で返すことにしました。
それも、また、思いやりだと、思いますから。
それに・・・
自分の夫を、友人の位置に据えることが
出来ますか?
求愛者の地位を返上した代わりに
友人の位置を得たのですよ、わたくしは」



────あなたって・・・
どうも、ご自分から
距離を置いている気がするわ。
それに、ご自分に対しても
距離を置いているみたい・・・。

そして・・・
あなたが『愛』と呼んでいるものと
彼らが『愛』と呼んでいるものは
異質なもののような気がするわね。
何というか、あなたの『愛』は、最初から
愛から、愛がもたらす憂鬱や苦痛
憎しみや執着や嫉妬を
抜き取ってしまっているような
綺麗過ぎるもののような気がして
ならないわ・・・。


「それで
満足、なさっているわけね・・・!?」

「ええ・・・それは・・・
恐らく、手に入れられる範囲のもので
満足するように躾けられて
来たからでしょうね」


幼い頃、突然、親しい者を遠ざけられた
あの時の怒りも無力感も
泣いても泣ききれぬ悲しみも
時と共に薄れた。
しかし、自分の楽園を乱されることへ恐れは
けして薄れることがないように思う。



────自分さえ愛しきれない者が
ひたむきに愛せないのは
当然では、ないのだろうか・・・。



「ねえ、あなたも
そろそろ別の方と
家庭を持つことを考えられたら?」


貴公子は曖昧に微笑んだ。
そして、白い花に目を据えながら


「貴族に生まれるということは・・・
与えられたものだけで満足するように
躾けられるという事なのかも
しれませんね・・・」


と呟いた。

初老の貴婦人は、若い男の
その、すこしやつれた横顔を
痛ましげに見つめた。
そして


「この花、よろしかったら
差し上げるわ。
後で、お屋敷に届けさせましょう」


と、言った。


           南海の孤島 おわり

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