末裔たちの部屋

□黒い瞳の少女 その1
1ページ/1ページ

 「う・・・痛て・・・」


「気がついた?」


耳の側に、彼女の顔があった。


俺たちは一本の柱に
互いに背に向けた格好で縛り付けられていた。
全く何もない、ただ白い漆喰で塗った壁と
鉄格子の嵌まった窓がひとつあるだけの
がらんとした部屋だった。


「だいじょうぶか?」

彼女は、思いっきり長い首を伸ばして
俺の方に顔を向けてくれている。

甘い匂いのする柔らかな金色の髪が
頬をくすぐってくる。
惚れた女に心配して貰って
それは、嬉しいけれど・・・。


「情けない・・・
君を守れなかった・・・」


「しょうがないさ。気にするな。
ひとりに5人じゃ太刀打ちしょうがないし
抵抗するだけ無駄だったさ。
どうせ、身代金か囚人との交換に使われるのは
解っているのだから
むしろ、最初の一発で伸びてくれてよかった」


う・・・この女は、全く・・・
身も蓋もない、慰め方をしてくれる。
しかし、惚れた女を守れなかったのは
事実だから、何も言えない。



俺たちはキャンプの外に住んでいる
難民の家に往診に出かけた帰りだった。

キャンプ内は光熱費は無料
最低限の食料もWFPから配給されるし
ここのキャンプは国際電話も無料
Wifiも無料で使える。
それでもキャンプの外に住みたがる人もいる。


理由は・・・さまざまだろう・・・
気持は解る。


ある往診先は、小さなアパートの中の
更に狭い貸間で
粗末なパイプ製の二段ベッドを置いたところに
家族がひしめき合っていた。
主は、しきりに子どもの熱さましや
下痢止めや、虫刺されの軟膏や
老人の血圧のくすりを、余分に欲しがった。


「月末にはもう少し広い借家に
移ります」


と主はしきりに言い訳めいたことを
口にしていたが
彼らは、どことなく、怯えたような
おどおどした目つきをしていた。



暗く狭い長い廊下を抜け、階段を降りながら


「なあ・・・おかしいと思わなかったか?」


と彼女が言った。


「ああ・・・何となく
いや、見え見えの、ヘンな空気だったな」

「前に来たとき、していた
ご主人のロレックスが無くなっていた。
奥さんの金のネックレスや指輪も
娘たちの小さなピアスまで
売り払えるものは、全部売り払ったって
感じだったな・・・」


さすがは女だ。
細かいところに目が行くんだな。


「密出入国を手引きする業者に払っちまったか
外国に住む親戚が動いてくれるのを
待っているところか・・・
東欧あたりに行くつもりか・・・」


「あの、古い型のサムソンの携帯だけが
命綱か・・・

あのご主人、国では
電気関係の技師だったそうだ。
内乱前は良い暮らしをしていたような雰囲気の
人だったな。
教養もありそうだったし」


「無事にたどり着けるといいがな・・・」


個人の事情に関しては
それ以上は干渉できない。


俺たちは何となく、やるせない気分に
なっていたのだろう
うつむき加減になり、いつしか無口に
なっていた。


「うっ」


建物の外へ出たとたん
いきなり強烈な照り返しに襲われ
目の前が真っ白になった。

ふたりとも慌てて胸のポケットに刺していた
レイバンを探る。


気がつけば
お日様は頭の真上に来ていた。


モスクから拡声器のアザーンが聞こえてきた。

早く戻らないと、更に気温は上がる。


俺たちは、すこし急いだ。


そして人気のない通りの端に止めた
トヨタのピックアップトラックに
乗り込もうとしたところを
突然、車の陰に隠れていた男たちに
あっけなく拉致されてしまった。


首都に出かけるときには軍が警護に
ついてくれる。
キャンプや宿舎の周りも軍に守られているし
夕方から明け方までは
兵士の人数も倍にしてくれているが
ここ一年近く、反政府ゲリラに影も
隣国の軍が侵入してきたという情報も
聞こえて来なかったというし
何となく、のんびりとした空気が
漂っていたし
ここは、キャンプから一番近い田舎町だし
なにしろ、昼間だから油断していた。


とにかく暑い・・・。


気がつけば、メインストリートには
俺たちの他には人っ子ひとり歩いていない。
猫すら見あたらない。

気温は、今まさに、灼熱のピークに今まさに
さしかかろうとしていた。

それはオーブンの中の
タンドリーチキンになった気分とでも
表現したら良いだろうか。
服から出ている皮膚という皮膚は
焦げそうになる。
強い照り返しで目の前は真っ白。
水のペットボトルだけは手放せない。

頭はぼおっとして、全く思考が働かなく
なるから
だから、役所も商店も夕方までお休みだ。

人々は自宅に戻って昼食をとり
鎧戸を閉めた日干し煉瓦の天井の高い家の中で
日が沈むまで、のんびりと昼寝を愉しむ。
室内は、驚くほど、ひんやりして、快適だ。
男と女が楽しいことをするのも
大抵はこの時間帯だ。


だから、気がつけば
人っ子ひとり見えない通りに
お土産に貰ったメロンとスイカを提げた
外国人の男女がふたりっきりという
異例の事態に少し焦ったけれど
警官も泥棒も反政府ゲリラも、仲良く
お昼寝中か、楽しいことの真っ最中に
決まっているさと、さほど危機感は持って
いなかった。


ああ・・・全く、油断していた・・・。


   黒い瞳の少女 その2 につづく

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ