「孔雀の羽団扇の行方」の部屋

□孔雀の羽団扇の行方 その5 貴婦人の手
1ページ/1ページ

 コルドバ革の紙挟み、真鍮のインク壺、聖書
携帯用の置き時計と万年暦
身だしなみを整える為の簡単な小道具
常備薬の瓶、替えの衣類
彼女の私物はそれほど多くはなかったので
それらをチェストに収め終えるのには
さほど時間は掛からなかった。



彼女は少しの間
慣れ親しんだ部屋を見回していたが


「行こう、長居は無用だ」



と彼女の従者に明るい声を掛けた。


廊下に出たところで
向こうから歩いてくる長身の士官に気づいた。



「ジェローデル大尉」



姿勢を正しながら、親しげに歩み寄っていく
二人の華やかな士官は、まるで息のあった
踊り手同士のようで

『この宮廷の第一級の装飾品だろう』と
アンドレも感嘆する。

ふたりはこのような場面に相応しい、短い
ごく形式的な、しかし心のこもった挨拶を
交わして別れた。


「さあ」


彼女はチェストを負ったまま
控えていた従者に振り返った。
そして手袋をはめながら、再び歩き始めた。


「彼だけは、わたしを揶揄したり
なめまわすみたいな目つきで見た事が
なかった。感じの良い人だった。
ああいうのを紳士って言うのかな?」


「おまえは何もしない男に惚れるタチか」


彼女の足が止まる。


『しまった、空気が剣呑になる』


と彼が後悔したそのとき、彼女がくるりと
振り返った。

そして、にやりと笑った。


「おまえ、妬いているの?」


傲慢な猫ように首を傾げ、目を細める。


それは、いつの間に身に着けたのか、自分に
恋する男を翻弄しようとする、はっとするほど
美しくも獰猛な雌の表情だった。


「安心しろ、彼は女には興味がないと
もっぱらの評判だそうだ。
男も顔が綺麗すぎると
すこしおかしくなっちまうのかな」



『無邪気なのか、邪気のかたまりなのか
おまえにはかなわない』



と幼なじみの従者は苦笑する。



「さて、フランス衛兵隊では、どんな歓迎を
受けるかな」

「さぞかし毛並みの良い紳士揃いで
おまえのような令嬢が現れたら
えらいことになるだろうよ」



────それにしても

ほんの数秒のことだけれど
彼女が手を差し出したとき
大尉の彫刻めいた形の良い手が
そっと指先だけを支えるようにする
貴婦人に対する儀礼で返してきたことに
彼女は気づいただろうか・・・


彼は前を歩いて行く金色の髪が揺れるのを
ぼんやり見つめながら考えていた。




 大尉は廊下を曲がり
彼らから姿が見えなくなった事を認めたとたん
動悸を整えるために壁に手をついた。

長身の彼を、彼女がこころもち見上げながら
手袋をしていない手を差し出してきた。

その手に触れた瞬間


いかにも癇症の人らしく、短く切り揃えられた
自然のままの爪の、極めて細いが筋の発達した
指の、やや堅く乾いた掌は、一瞬



────たおやかな貴婦人のものと
いうよりは男の子のそれのようだと感じた。
そしてそれをどこかで、見たことのある手だと
思った・・・



あの夜の記憶が蘇って来たのだった。


「そうだ、あれは剣を握ったり
手綱を操ったりする手だったのだ・・・」



そして彼は、ふたりの女性がぴったりと
重なったことに気がついたのだった。   
                  
               


   孔雀の羽団扇の行方 その6につづく

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ