「孔雀の羽団扇の行方」の部屋

□孔雀の羽団扇の行方 その6 年上の女
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 「もう会うことはできないな」


と口にしたとたん
彼は、初めて目の前の女への思慕が
湧き上がってくるのを感じた。


────本当に自分は彼女の気持ちに
気づいていなかったのかと。
自分を追っている彼女の視線に
気づいていたのではなかったのか


────自分は、そんな彼女を
けして成熟することのない性だと高をくくって
憐れんでは来なかったか


────今は、もっと、他の言葉を掛けるべき
ではないのか・・・



と、彼は自問していた。

そして、また

彼女にとって自分が過去の男になるという事は
たまらない事だと思った。


しかしそれは、あさましい男の未練である
という事もわかっていた。


今、彼の目の前に立っているのは
美少年の近衛士官でもなければ
あの夜の夢の女でもなかった。
たとえ、頼りなく見えても泣いていても
毅然として大人の世界に一歩踏み出したばかり
の女の顔をしていた。

だとしたら、自分も礼をつくして別れを告げる
べきだと彼は思った。これで良かったのだと。


せめて、彼女の美しい思い出になっておきたいと思った。


彼女も少しやつれのある、真摯な表情で
口を開いた。


「ありがとう。
今までよく、付き合ってくださったのだと
思う」



そして、彼女もまた
自分が少女の時代に別れを告げたと思った。





 「そうだったの・・・
フェルゼン伯爵とはそんなことがあったの。

それで、もう失恋の傷は癒えたのかしら?」


「ええ、すっかり。
他の女性を一途に想っている男性に恋をしても
しかたがありません」


「そうかしら。
噂ではあの方、あなたが思っているほど純情と
いう方でもないようだけれど」


「いいのです。もう関係ありません。
それに、わたくしも自分に何もしない男性を
追ってもつまらないと思うようになりました」


「あら、殿方に何かさせるのが、わたくしたち
女の役目なのよ。

それに、あなただって立派にしかけたのでは
ないの!?

わたくしは生憎、その場面に居合わせなかった
のだけれど、あの夜会の翌日、控えの間は
色男のフェルゼン伯爵を袖にした
外国の伯爵夫人の噂で持ちきりだったそうよ」


「袖にしただなんて・・・
ボロを出しそうになったので逃げ出しただけ
です。
それに、いきなりドレスを着て現れるなんて
唐突すぎました。
我ながら、修行がたりませんでしたよ」


「あら、そうかしら、あなたの貴婦人ぶり
なかなかのものだったわよ。まあ


『優雅にして妖艶』

には遠く及ばなかったにしろ

『楚々として典雅』

くらいの褒め言葉は言ってさし上げられたわ」


「あはは・・・なかなか手厳しいこと
をおっしゃる。では、次回は

『優雅にして妖艶に後一歩』

とでも、お褒めの言葉をいただけるよう
修行を積むことにいたします。
どうぞ、今後ともよろしくご指南のほどを」


「なかなか、心掛けがよろしいわ」


若い娘は、ふふと笑うと、桜桃の砂糖漬けを
指先で摘み上げ、口に放り込んだ。



二人は宮殿の内庭を見下ろす大公妃の居室で
茶菓の卓子を囲んで語らっていた。


大公妃は彼女を少女の頃から姪のように
可愛がって来ていたが、秘密を共有して以来
堅苦しさが少し抜けて、女同士の気楽な会話
にも乗ってくるようになったことを
喜んでいた。
しかし、今日は無理をして、はしゃいで見せて
いるようにも思える。


「そうそう、あなたの孔雀の羽団扇
ある貴公子に、差し上げてしまったわ。

あなたに焦がれて焦がれて
いっときはお食事も、のどを通らない
ご様子だったのだけれど
伯爵夫人が国に帰られてしまっては仕方がない
と、なんとかご納得されたようで
わたくし、気の毒になってしまって
それでは、せめてあなたをしのぶ縁にでも
なればと差し上げてしまったのよ」



────わたくしの想いは
ゆっくり育てることにいたしました。
わたくしも、また、内気な男ですから・・・



そう言って、彼は大切そうにそれを受け取ると
口元を団扇で覆う、内気な貴婦人の仕草で
婉然と微笑んだ。
まるで照れ隠しのように。

その榛色の瞳はいつになく輝いていて


『いつも、なんだかつまらなさそうなあの方が
嬉しそうだったわ』

と貴婦人は心の中ででつぶやいた。


「うっふっふっ」


「あら、何がおかしいの?」

「このわたくしに
身も細るほど焦がれている貴公子がいる
と聞いては、悪い気はいたしません」


「その方のお名前
教えてさしあげましょうか?
すごく佳い男よ
あなたもきっと気に入ってよ」


「いいえ、お互い知らない方が
良いのでしょう」



『でも、もしかしたら、あの羽団扇
あなたの元に戻って来ることがあるかも
しれないわね』



「それにしても、本当に唐突ね、近衛から
フランス衛兵隊へ転属ですって」


「若くて生きの良い男がいっぱいで
楽しいですよ。
毎日、四方八方から熱い視線を浴びせられて
痛いくらいです」


「まあ、あなたったら
あなたの恋人になる人は死ぬまで退屈は
しないわね・・・

ところで、先ほどお会いしたあなたの従者
しばらく見ないうちに佳い男になったわねえ。
ただの優男だと思っていたのだけれど
なんだか急にたくましくなって、翳りがでて
あなたを見る目つき
ほの暗い熱をはらんでいるようよ。
きっとあなたに恋をしているわね。

でも、彼、片目をどうかしたの?
まあ、それにしても、佳い男が目を病んでいる
というのも、何だか凄絶な色気があって
良いものねえ・・・」



急に、若い娘は、ほろほろと涙をこぼした。



「あら、急にどうしたの?
わたくし何か悪いことでも
申し上げたのかしら?」


────どうしたのかしら彼女は。

それにしても、可愛らしい・・・

まるで、少女のような無防備な泣き顔だわ。
しかし、彼女は自分に備わった力を
使いあぐねているのかもしれないわね。



貴婦人は、年上の女の意地の悪さも、羨望も
思いやりも、ない混ざった、複雑な表情で
遠慮がちに洟をすすっている若い娘を
見つめていた。



       孔雀の羽団扇の行方 おわり



                2012.11.10



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