「やさしい雨」の部屋 2

□午後からの雨 後編
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 回廊を渡っていくときは
いつも、ふたりとも無口になった。


石の床に響く足音だけを聞きながら
ふたりは歩いていた。


肌寒い曇り空の午後であったせいか
回廊にも中庭にも人影はなかった。
中庭の中央の噴水は
今日は噴き上がってはおらず
落ち葉を浮かべているだけだった。



───いつまでも、このままでは
いけないな・・・



と、彼女は、いつものように
心の中でつぶやいた。



───おまえも、そろそろ
身を固めなければな。
新進の将校の家を
切り盛りしていくには
丈夫で、気性もしっかりしていて
愛想が良い若い娘が必要だ。
ここに来るのは、今日で最後に
してくれないか・・・。



その言葉も、今、思いついた
というものでもなかった。
もう、あまりにも長い間、口の中で
転がし、弄び続けてきたせいか
最初は苦かったその味も
いつの間にか、甘ったるく
女々しいものに変化していた。
男がパリから持ってきてくれる
アニス入りのキャラメルのように。



───解っているくせに・・・。



この回廊をわたり終わるまでに
今日こそ告げなければ、と
いつも思ってきたのに
結局、今日も、彼女は黙っていた。



彼らは黙ったまま、外庭へ出た。



「ここで、結構です。
からだを冷やしてしまいますよ。
部屋に戻って」


男が、先に口を開いた。


「あ」


水滴が頬を打ってくるのを感じて
彼女は、小さな声を上げた。


「とうとう雨が降ってきた・・・
風も出てきたな。
嵐になるかも・・・
濡れるな・・・」


「これくらい、平気です。
次は、二週間後になると思います。
お元気で」

男が微笑んだ。


男の前髪が風に煽られて乱れている。
男の背後で
木々が風に揺れる音がしていた。


彼女は、薄暗い丘の道を
雨に濡れながら
ひとり下っていく男の背中を思った。


すると、急に、たまらなく寂しく
悲しくなった。


悲しくなって涙が溢れてきた。
涙が溢れて前が見えなくなった。


そして、立ち去りかけた男の
背中に声を掛けていた。



「・・・班長・・・
今夜は泊まっていかないか?」



───我ながら、情けないくらい
涙声だ・・・


と彼女は思った。



男の香りが急に強くなったかと思うと
気がつくと、外套を纏った広い胸の中に
やさしく包まれていた。



乾し草の匂い
馬具の皮の匂い
土埃と硝煙の匂い
汗の匂い
マルセイユ石鹸の匂いに包まれて
彼女は目を閉じ、ため息をついた。

 
         午後からの雨 おわり

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