「やさしい雨」の部屋 2

□追憶 1
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 「買い物に付き合ってくれて、ありがとう」


「言って下さったら、もっと質の良いものを
パリから買ってきたのに。
わざわざ店ざらしになって
黄ばんでいたものを、買うなんて」


「これでいいんだ。
字を書き付けるには別に不都合はないし
それに、筆記用具や、果物や花や・・・
そういうものを、自分で買うという事も
この頃、楽しいんだ。
さて・・・昼食を食べに行こうよ」


と、女は言った。


鄙びた田舎の町の広場をめぐる
アーケードには
小さな商店や、仕立て屋や
何かを修理する店やカフェなどが並ぶ。

久しぶりの外出のせいか
彼女の表情は、まるで少女のように晴れやかで
足取りまで弾んでいるように見える。
それを男は、微笑ましく思った。


やがて、ふたりは
一軒の旅籠兼食堂に入って行った。


薄暗い奥の卓に着くと、女は


「寂しかった・・・」


と、微笑みながら、言った。


「忙しくて
どうしてもパリを離れられませんでした」


「それは、解っていたけれど・・・」

───しかし、もしも自分が留守の間に
ひょっこり現れたりしたら嫌だから
ずっと外出する気が起きなかったのだ・・・

と、はにかみながら、言い添えた。


「班長・・・すこし、痩せたか?」


「いえ、大丈夫です。
忙しいけれど、しっかり食って
よく寝ていますよ」

「そうか・・・それならば
良いのだけれど」


薄暗い店の、煤けた天井からは
大きな燻製肉や干し魚やニンニクが
吊るされている。

すぐにオムレツや
ソーセージと炒め合わせた茸
酢漬野菜、チーズといった素朴な昼食が
香ばしい湯気と共に運ばれてきた。



「ええ、このごろ、よく眠れるんです。

実は・・・あなたの夢を見なくなった。
きっと、現実のことに、なったから・・・
その現実が、余りにも鮮やかだからだ・・・」


男が、はにかんだように笑った。


「それは良い・・・」


女の方も目を伏せ
フォークの先で、好物の茸を突きながら
はにかんで、笑った。


「それに、妹の夢も見なくなったんです」


女が、顔を上げ、少し怪訝な顔をした。


「・・・それは、どういう意味だろうな?」


男は、しばらく考えていたが
思い切って、彼女に話すことにした。


「実は、あなたの・・・
姉上のご一家に、お会いしました」


そして、彼が国民議会発行の通行証を手渡しに
ローランシーに出かけ、そこで遭遇したことの
顛末を手短に語った。

彼が駆けつけたときには
彼女の姪が、大勢の大人たちを前に
演説を打っていた・・・というくだりでは
彼女が、愉快そうに頭を振って笑っていたので
その笑顔を見て、彼は、その少し前に
彼女の父親に出会ったことについては
黙っておくことにした。


彼女の心をかき乱すようなことを
今は、話したくはなかった。


「そうか、姉上たちはベルギーへ・・・!?

いろいろ、気に掛けてくれていたんだな・・・
姉の一家を助けてくれてありがとう・・・」


そして、彼女は、ため息をひとつ、ついた。



「そして、その、ディアンヌの元婚約者と
その妻まで助けてしまった、というのが
班長らしいな・・・」

「あいつを許した、とは思っていない。
俺は、そこまで人間は、出来ていない。
しかし、その男が、全く
軽薄で冷酷なやつではなかった・・・
そう思ったら
すこしは、慰められた気がしたんです」


年下の男の言葉を
彼女は微笑みながら聞いていたが


「・・・それは、よかった・・・。
ディアンヌもきっと喜んでくれている。
おまえも、そう、感じたからこそ
心の平安を得たのだろう。
だから、夢を見なくなったっだろう」

と言った。


        追憶 2 につづく

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