「やさしい雨」の部屋 2

□追憶 3
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 「それにしても
国王陛ご一家が国外逃亡などと・・・」



「俺も、驚きました・・・。

『人権宣言に忠誠を誓われた国王陛下が
祖国を見捨てるなどとは』と

急速に王制廃止の世論が高まっています」

「真相は、どう、だったのだろう・・・
無理やり連れ出されたとか・・・
そういうことでは、なかったのだろうか
わたしは、まだ
信じられない気持ちもあるのだが・・・

そして、留まっていた王党派の
貴族たちは、この事件をどう捉えただろうか?
わたしの父のような・・・」


少年めいた唇が、強く引き結ばれて歪み
眉間からギリシャ彫刻風に中高の額に向って
一瞬、亀裂が走るとき
その表情が彼女の父親と、全く同じに
なることに
心の中で驚きながら彼は言った。


「お父上は、国王陛下が
留まっておられるうちは
亡命を考えられる方ではないと
思いますね・・・」


彼女は卓から
ワインの入った錫のコップを取りあげ
一口、飲んだ。そして、語り始めた。



「・・・父がわたしに語ったことがある。

まだ、わたしが10歳にもなっていなかった
頃だと思う。
剣の稽古をつけてもらっていたときの
ことだ・・・。

その日の会話は、突きや構えや姿勢の事から
どういうわけか
決闘の際の礼儀作法から、身仕舞い
いよいよ最期というときには
貴族の子弟として、とるべき態度・・・
といったことに、及んでいた・・・。

そのとき、父はわたしに、語ったのだ。


『おまえも、わたしも
国王を頂点とする、支配階級の末なのだ。
貴族に生まれたからには
国王と国王の名誉を
お守りしなければならない。

ただ軍人である、という事ならば
戦を避けて通るということも
戦略の一つとして、選択は可能だ。

しかし、貴族として、つまり
国王をお守りするために、戦うときには
逃げ出すことは許されない。

このフランスの貴族として
国王のお顔に泥を塗るようなことが
あってはならぬ。
そして、国王をお守りすることは
貴族の義務だ。
そうやって、我々は
先祖代々、受けてきた恩恵に報いなければ
ばならぬ。

国王を置いて、逃げ出したり
その名誉をお守り出来ぬときに
貴族は、貴族である存在意義を失う』

と・・・・」


「10やそこらの子どもに向って
そんな話を!?」


男が、呆れたように眉を上げた。


「ああ、そういう父親だったのだ。

しかし、父は、人間の身分や階級を
その徳性のうちに、数えるような人間では
なかったし
人間の価値と、その自分の身分や家柄は
を同一に考えるような人間でもなかったと
わたしは思っている。

自分が貴族であることや
高位の軍人であることを、目立たせるような
振る舞いを、むしろ嫌っていたし
周囲に対して、自分に対する
敬意を喚起すような態度をとるようなことも
一切、なかったように記憶している。


父は、庭師や蹄鉄師や、出入りの指物師などの
職人の仕事を眺めながら
彼らと言葉を交わすことが好きだった。
また、知人の医者や測量技師や
地質学者を食事に招いては
話を聞くのを楽しみにしていた。


むしろ・・・
身分や家柄には関係のない
技術者や職人の技や
また、そういった己の技能で
世の中を渡っていく、ものたちに対して
敬意というより、羨望に近い感情を
持っていたように、わたしは感じていた。


『当主とは、屋敷の管理人を
押し付けられて、いるようなものだ・・・』


と、わたしに向って、冗談めかして
言ったこともあった。

しかし、その一方で・・・


『国王が神が定めた国の頂点ならば
貴族として、生を受けたという事もまた
神の定めた秩序なのだ。
そして、国王がいなければ
我々も、存在意義を失う』


と、いつも言っていた。
恐らく、父も祖父に
その様に言い聞かせられながら
育てられてきたのだ。
そして、そのような信念で
生きてきたのだと思う。


だから、父や、父のように、国王と共に
留まる覚悟であった貴族たちにとっては
今回の事件は、どのように
捉えられたのだろうか・・・
彼らにとっても、痛ましい事件だったのでは
ないのだろうか・・・」

          追憶 4につづく

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