「やさしい雨」の部屋 2

□追憶 4
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 「それにしても・・・
人間というものは
実に矛盾に満ちているな。
誰が見ても納得がいく行動している人間など
いったい、いるのだろうか?

わたしの父は自分に
男子を授けられなかった、ということと
わたしが女としてこの世に生を受けたことは

『それも、また、神の秩序であるのだから・・・』

とは、受け入れられなかったのだぞ・・・」


と、彼女は苦笑しながら言った。



────あの日、父上が
自分の信念に、忠実であったならば
わたしの胸に剣を突きたてていた筈だ。
しかし、そうならなかった。
そして、わたしたちが愛し合っていたという
事を知っても、その後、その事に
全く触れられる、ということは、なかった。



────また、最後の別れとなった
あの日も・・・・。

「何が起ころうとも、わたくしを
卑怯者に、お育てにならなかったと
お信じくださって、よろしゅうございます」

と、告げたわたしの
その言葉の意味を、問いただそうとは
なさらなかった。

尤も、あの時点では、わたしも
どのような事が起こる、などとは
解りようもなく
また、もし、このような事が起きた場合は
このように行動しよう・・・などということも
はっきりとは、決めては、いなかったのだから
「それは、どういう意味か」と
問いただされても
困ってしまっていただろうが。


────しかし
「会議場に立てこもった平民議員を排除せよ」
という命令に逆らったわたしが
どのような行動をとるか、ということを
父上が、全く、お考えにならなかったとは
思えない。


あの時、父上はわたしに無言で

「おまえは、おまえの信じる道を行け」

と、促してくださったのかも、しれない。



────あの日まで、貴族として
特権を享受して生きてきた、わたしにとって
謀反人、裏切り者、逆賊と呼ばれることは
今も、苦しい。
何故なら、それは、本当のことだからだ。

「支配階級の末として華々しく戦い
平民や反乱兵士たちに撃たれるも・・・
それも、いっそ、潔かったのでは・・・」

そういう思いが頭をよぎることも
今でも、ある。


────それでも
自分で選択したことだからこそ
その苦しみも、自分で引き受けられる・・・
と思うことがある。

この苦しみを受け入れていると思うとき

「おまえの自分の人生が
今、充足しているのだ」

「これこそ、おまえの人生なのだ」

と、どこからか
声が聞こえてくるような
気がするのだ・・・。




「正直なところ・・・
あなたを男だと思って眺めているのは
なかなか難しいことでしたよ。
・・・でも、あなたが
男子として育てられることがなかったら
隊長として、俺たちの前に
現われることもなかった」

「それも、そうだな・・・」

ふたりは、顔を見合わせて笑った。




────そうだ・・・

もしも、わたしが
普通の貴族の娘として育てられ
14や15で、親の定めた相手の元に
嫁ぐ・・・

そのような人生を歩んでいたら
あの日、反乱軍の指揮官として
市民たちと共に戦うという選択は
なかったのだ・・・。




 目の前にいる女は
放心したような、遠い目をしている。


『追憶に浸っているのだろう。
もしかしたら、今、父親のことを
考えているのかもしれない』


と彼は思った。



初めて出会ったとき・・・。

女は、華やかな青年士官として
彼の前に現れたのだった。

そして彼は
その贅沢を養分にして生い育った薔薇のような
健やかで優雅な姿や
自然に身についた宮廷風の所作に感嘆し
そして、反発を覚え、憎み
仲間たちとともに反抗した。

しかし、この女の
その優雅な外見とは裏腹な
荒々しいほどの情の深さや
烈しいほどの清廉で純粋な心を
知り始めたときから
もっと、深く触れたいと思う自分の心を
止められなくなっていた。


そして、その、同じ女は
貧しい学生のような姿で
今、彼の目の前に坐っている。
午後のやつれが瞼の辺りに表れ始めた
少し青白い顔をして。


しかし、静かに坐っていたが
もう、不幸そうではなかったし
悲しげではあるけれど
はかなげでは、なかった。
ひそやかではあるけれど
その身体の内側から
白い光を放っているのが
彼には見えるのだった。




目の前の男は、潤んだ黒い瞳で、
見つめてくれていた。
労わるように。

その瞳は、彼女に
もう、手の届かないところにいる男の瞳を
思い起させ、少し、苦しくさせた。

目の前の男に、微笑み返しながら
彼女は思った。


────しかし、この苦しみも
また、自分のものなのだ
自分の人生の一部
自分と言う人間、そのものなのだ・・・。


そのように思うと、その苦しみの中にも
確かに、充足感は、あった。



────自分の人生を
生きることが出来て良かった。


父上、あなたに感謝します・・・・。


               追憶 おわり

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