フローリアン君の部屋

□フローリアン
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 ────本当に、あの人なのだろうか?
狐か何かが化けているのでは
ないかしら・・・・。

少年は、心の中で呟いた。

数週間前にお目見えしたときの
冷たかった態度とは打って変わって
貴婦人は優しかった。

彼は、まるで壊れやすい高価なお人形の
ように扱われていた。


この無口な少年の
少女のように愛くるしいのに
どこか儚げな、影のある美しさが
ベルサイユで評判になっているという
ことに、彼の母親は、ようやく
気がついたのだった。
そして、そのことは大いに彼女の自尊心を
満足させ、また、自責の念をも
起こさせたようであった。
そして、以来、しきりと彼を伴って
出かけたがるようになったのだった。


「フローリアン────」


着飾った女たちの輪の中から
彼を呼ぶ声が起こる。
遠くから手招きされ、のろのろと
側に寄っていくと

「ああ・・・わたしの可愛い
お人形さん・・・」

大袈裟な仕草で抱き寄せられる。


「まあ、なんて可愛らしい・・・」

「あと、数年もしたら、このベルサイユ
でも指折りの貴公子になられるわね」

むせ返るような白粉や香水の香りの
輪の中で
口々に誉めそやす声を聞かされながら
髪を撫で付けられ、襟飾りを直される。

母親のやさしさは、特に人前では
芝居がかっていると言っても良いほどで
数週間前に、この貴婦人から感じた
薄緑色の透明な液体を満たした
ガラスの香水瓶が
そこに立っていたような印象のほうが
彼にとっては、自然に思えるほどで
あった。



────お母様は、それはそれは
お美しい方ですよ。


まだ、彼らが田舎に居た頃
少年の絡まりやすい細い髪を
丁寧に梳きながら
侍女は、彼に語ってくれていた。


────奥様もフローリアン様に
お会いになるのを、きっと心待ちにされて
いらっしゃいますよ。


しかし、実際に会ってみても、少年には
何の感慨も、湧き上がってはこなかった。
自分の母親だという貴婦人は
彼の想像よりも、ずっと若かったが
ただ、それだけのことだった。



「どこぞのお家のように
毎晩、お子様方と一緒に食卓を囲むという
のも、それはそれでどうかとは
思いますけれど・・・・」

「ご子息を10年も里親に預けっぱなしに
していたなんてねえ・・・」

「お可愛そうに・・・」

「だから、お母様は
その埋め合わせをして差し上げたいと
必死なのでしょう・・・」

「あ〜ら、あの方は
年若い美貌の騎士も美しいお子様も
ご自分を引き立てる装身具くらいにしか
思っていらっしゃらないわよ・・・」

「ほほほ・・・それも、そうねえ・・・」


そんな人々の囁き声は、すぐに
少年にも聞こえてきた。



 ある朝、目を覚ますと
彼が物心がついたころから
養育を任されていた侍女も
田舎から連れてきた猫も
いなくなっていた。

少年が貴婦人の部屋を訪ねて
問いただすと
夜着の上からガウンを羽織った姿で
朝の化粧の最中であった貴婦人は
鏡を覗き込みながら


「リュミエルは国に帰りましたよ。
お母様がなくなったので
変わりに弟や妹たちの面倒を見なくては
ならなくなったのだそうよ。
午後はC・・・大公妃のお茶会に
伺うことになっていますから
あなたも早めにお支度をして
おくのですよ」


と彼に言った。


瓶や刷毛やブラシなどが所狭しと置かれた
化粧台の隅には白い封筒が無造作に
置かれている。
その表面の筆跡に、彼は見覚えがあった。
ふいに貴婦人はその封筒を
摘み上げると、封も切らずにそのまま
屑篭に放り込んだ。

少年は貴婦人が着替えのために
隣の間に入っていった隙に、それを
拾い上げ、上着の隠しに突っ込んだ。




────リュミエルは
「坊ちゃんが懐きすぎている」
という理由で、隙を出されたのさ。

────むごいことをなさるものだね。


使用人たちが物陰で囁き合っているのを
少年は聞いた。



 その夜、少年は自分の寝室で
ひとりっきりになってから
母親の部屋の屑篭から拾い上げた封筒を
そっと開いた。


便箋を開くと、懐かしい筆跡が現われた。
それは、リュミエルが、少年の母親に
宛てた手紙だった。



────・・・フローリアン様は
寝つきもあまり良くありませんし
朝も苦手でいらっしゃいます。
ですから、できるだけ規則正しい生活を
させて差し上げてください。

フローリアン様は
ご自分の感情を巧く表現されるのが
苦手でいらっしゃいますが
本当は、とても利発で感受性の強い
心の優しいお子様です。
素っ気無い態度を取って
いらっしゃいますが
本当は、奥様のことを、とても愛して
いらっしゃいます。
どうか、奥様もフローリアン様を
可愛がって差し上げてください。
愛して差し上げて下さい。
どうか、よろしくお願いします・・・・。


彼は、一晩中、泣いた。
声を上げて泣いた。


そして、けして泣かない少年になった。

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