フローリアン君の部屋

□叔父 前編
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 「もう、リュミエルを心配させないで
下さいませね。
勝手に、おひとりで
お出かけになるなんて・・・」

と、少年の寝支度を手伝いながら
侍女は言った。


「屋敷中、大変な騒ぎでございましたよ。
奥様も、フローリアン様のことを、どれほど
心配されていたか・・・
已むをえず、宮廷に
お出かけになられましたが・・・・」


少年は、その日
ジャルジェ将軍の家の庭にいるところを
発見されたのだった。


「ところで、お嬢様には
お会いになられましたか?
良いお友達になれそうですか?」


少年の絡まりやすい柔らかな巻き毛を
丁寧に梳かしながら、侍女が問うと


「知るもんかっ
あんながさつな女!!
だいたい、自分のことを
女だとも思ってないぞっ!!」


と少年は叫んだ。


その女に
自分の方から勝負を挑みに出かけ
負けた、などとは
口が裂けても言えなかった。



「まあ・・・ほほほ・・・
しかたはございませんわ。
ご自分の事を男の子だと
思っていらっしゃるのでしょう。
お父様の将軍は男子に男子に恵まれなかった
ことを、どうしても諦められなくて
末のお嬢様を男の子として
お育てになったのですよ。

奥様にはお会いになられました?
お綺麗な方でしょう!?」



────・・・・あら!!
あなたは、ジェローデル様のお家の
フローリアン様ね。

まあ・・・
ここまで、おひとりで
歩いていらっしゃったの!!


裏庭に男の子が迷い込んでいる
という知らせを聞いて
勝手口から姿を現した貴婦人は
大きな前掛けを着けていた。



────すぐに、お宅に
使いを出しましょう。
それまで、休んでいらっしゃい。


そう言いながらも、貴婦人は
少年の前に屈みこんで
額に手を当て、体温を確かめたり
顔色を見たり
指を広げさせて
傷などを負っていないか
素早く調べたりしているので



『まるで、リュミエルみたいだ・・・』


と彼は思った。


やがて貴婦人は立ち上がると


────ちょうど良かったわ。
お菓子が焼き上がったところなの。
ついて、いらっしゃいな・・・

と言って、微笑んだ。





「ずいぶんと
おばあさんに見えた・・・」


「ほほ・・・
フローリアンさまには
その様に見えましたか・・・
ええ・・・
フローリアンさまのお母様よりは
10は年上の方ですから・・・

あの奥様には
6人お嬢様がいらっしゃるのですよ」




妾も愛人もつくらず
そのくせ、男子を儲けられなかったことを
諦めきれずに、末の娘を跡取りとして
育てているという将軍と
6人の娘たちを修道院にも里子にもやらずに
手元で育て上げたその奥方という
変わり者の夫婦の噂は
少年の耳にも届いてはいた。

その変わり者の貴婦人は
日中用の更紗のドレスを纏い
灰色掛かった髪をあっさりと項でまとめ
白い前掛けをした姿で、微笑みながら
少年を手招いた。

その笑顔を見ると、少年は
何故だか、急に、無性に人恋しくなって
大人しく、貴婦人に着いて行ってしまった。


貴婦人について、入って行った厨房は
磨きこまれた鍋や杓子などがずらりと
掛けられ、清潔で、暖かく
焼き菓子の甘い匂いが、あたりいっぱいに
漂っていた。


────ね、あたたかいうちに食べると
まわりはサクッとしているのに
中はとろけるようでしょう!?



使い込まれた大理石の調理台の前の
木の椅子に坐って
もうひとつ、あとひとつと
目の前に置かれたお菓子に手を伸ばしている
少年のコップに、ミルクを注ぎ足して
やりながら
白い前掛け姿の貴婦人は目を細めていた。
すると目尻に皺が寄って
いっそう、やさしげな表情になった。



「・・・・ねえ、リュミエル・・・
厨房に入って行ったり、お菓子を焼く
母親というのは、変わり者なの?」


一瞬、侍女は、答えに詰まってしまったが
少年に向って言った。

「フローリアン様
世の中には、いろんなお母様が
いらっしゃいますよ。
でも、子どものことを心配しない
母親などというものはおりませんよ。
だから、今日のようなことは
絶対に、なさらないで下さいね」


侍女は少年に夜着をかぶせた。
そして胸元の紐を締めながら


「ああ・・・そうですわ!!
明日は、一緒にお菓子を焼きましょうか!!
リュミエルもお菓子を焼くのは
得意なんですよ」


「本当!!」


「ええ。
さあ・・・
今日はもう、お休みなさいませ」


「うん・・・
今日は、何だか、疲れた。
でも、リュミエルは
僕が眠るまで、側にいておくれよ。
ろうそくの火は
全部、消さないでよ、いつものように」


「ええ・・・解っております。
どこにも行きません・・・」


寝台に潜り込み
少年は瞼を閉じた。


しばらくの間、髪をなでてやっていると
すぐに、規則正しい寝息をたてはじめた。
白い枕に埋もれている
天使のような、小さな顔を見つめながら
侍女はそっとため息をついた。

         叔父 後編につづく

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