「やさしい雨」の部屋 3

□冬の旅人 その1 柘榴
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 「いつまでも浮世離れした生活を
しているわけにはいかないんだ」

と彼女は庭師に言った。


彼らはスペインの町家のような
こじんまりとした屋敷の中庭で
柘榴の収穫を行っていた。


「人の好意に頼っているばかりでは
駄目だと思うんだ。
それにお金のことを真面目に考えることは
悪い事ではないと、院長も言っていた。
それも社会に踏み出すための第一歩だって。
だから、屋敷の維持に掛かる費用を
一度、はじき出してみてくれないかな」


髪を束ね、麦わら帽子をかぶり
白いシャツに胴着といった格好で
脚立に登って赤い実をもいでいるところは
まるで真摯は少年のようで


『この女、妙に生真面目で
義理堅いところがある。
そこが、風変わりなのに、男を惹きつけ
手を貸してやらねばという気持ちに
させるところなのかもしれぬ』


と庭師は思った。


「わたしは療養所を出たら
パリに戻る事に決めているし・・・」


「それはいい。亡くなったご主人も
まだ若いあんたが、こんな町外れの屋敷に
ひとりで引きこもって暮らすなどという事は
望んではいなかっただろう」

「わたしもそう思う。
でも、だとしたら、今のわたしには
ずいぶん、分不相応な持ち物なんだ。
もちろん、彼が残してくれた
大切な屋敷なんだけれど・・・

それにしても
本当に見事な赤い実だなあ。
昔住んでいた屋敷の庭にも
柘榴の木はあったけれど
これほど大きくも、赤くもならなかったよ。
このあたりの土や気候が良いのかな?」


「奥さんのような女人には
うってつけの果実だ。血を浄化するので
血色が良くなる。バストが豊かになって
ますます女っぷりが上がる」


「へえ、それは本当かい!!」


そこで庭師は手を休めて彼女の方に
振り返った。


「愛着のある屋敷を
簡単に手放したりしてはいけない。
このように美しい屋敷は、一度手離しては
二度とは戻っては来ない。
それに新しい生活に踏み出すときに
戻れる場所があるという事は
ずいぶん心強いものだ」


「もちろん、手放すつもりはないよ。
わたしも、この屋敷やジョルジュ爺が
居てくれているおかげで
どれほど心強いか・・・
でも好意に甘えっぱなしというのも
嫌なんだ。
だから、今、いろいろ考えているんだ。」


「では、わしの提案だが・・・
母屋の裏の離れに、少し手を加えて
月極めで貸すというのはどうかね。
それでわしの手間や屋敷の修理代など
その他もろもろの費用を賄えると思う。
残りは奥さん、あんたの取り分にすればいい。
どうだろうか?」


「いや、そういう金はとりあえずは
繰越利益だな」


「くりこし・・・なんだね、それは?」


「次の年の利益に加算するんだ。
先々、何が起こるかわからないじゃないか。
今、院長に簿記を習っているんだ。
部隊の運営や領地の管理とは
やはり勝手が違うし
これからの時代は、何でも
人任せってわけにはいかないんだ」


庭師は、この健気な女を見守ってやれる口実が
また、ひとつ出来たことを、喜んでいた。


   冬の旅人 その2 につづく

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