「やさしい雨」の部屋 3

□冬の旅人 その2 旅人
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 ────静養のために、しばらく
静かな一軒家を借りたいのだが


という彼に
旅籠の主人が勧めたその小さな屋敷に
着いたときには
あたりはすっかり暗くなっていた。


町外れの雑木林の中の
細く短い砂利道の私道を入ってから
徐行し、老人は馬車を停めた。
住み込みの庭師だという
その老人について門をくぐり
家主に会うために玄関へ向かった。


薄暗い玄関の間を抜け
客間に案内されると
そこには金髪を簡単にまとめ
簡素な絹の喪服をまとい肩にベールを掛けた
すらりとした女が、背を向けて立っていた。

そして、振り返ったその顔を見たとたん
彼は声上げそうになった。

女の青い瞳もおびえたように
大きく見開かれている。
ふたりは、お互いに亡霊を見たように
しばらく、じっと立ちすくんでいた。


そのとき門の鐘が鳴ったので
老人が出て行き、すぐに戻って来た。
そして


「巡回中の警官だそうだ。
珍しく正面に灯りがついているので
不審に思って声を掛けたと言っている。
家主がいるのならば
一度、会いたいと言っているので
顔を見せてくれ」


と言った。


彼女は「わかった」と老人に言うと
彼には「念のために隠れていて」
と小声で言った。

そして、ベールを被り直すと
老人とともに衣擦れの音を立てながら
玄関の間に出て行った。



────はい・・
わたくしが家主でございます。
住まいは別でございますが・・・
はい・・さようでございます。


ひどく儚げな、媚態を含んだ女の声色で
しおらしく対応している様子が伝わって来る。



────爺、警部様方にワインでも。



「いや、仕事中ですから・・・」



────まあ、そんな・・・
少しぐらいは差し支えないのでは
ございませんか!?
では、せめてコーヒーでも・・・。



「いやいや、お気を使わんで下さい」

などと恐縮して、固辞する声が聞こえてきて
やがて、男たちは去っていった。



女がほっとした表情で
ベールをはずしながら客間に戻ってきた。


「こいつは驚いた!!貴婦人ぶりが
すっかり板についたんだなあ。
鄙にまれなる美女が現れたので
警官たちも驚いていただろう!」



と男が揶揄すると


「パリでは当たり前でも
この辺りで男の服は人目を引きすぎるんだ。
だから、時と場合によってはドレスを着る。
それに喪服を着ていると
相手はいろいろ勝手に想像して
納得してくれるから便利なんだ」


と彼女は照れたように言った。


「ほう・・・
おまえも少しは世渡りが上手くなったのだな」


「とんだ女狐だろう」


男は、黒い絹のドレスをまとった
しなやかな身体を無遠慮に眺め回した。

ほっそりとした印象は昔のままに
しかし、胸や肩が丸みを帯びて
見違えるように女らしくなったと思う。


「なるほど、美しい銀狐だ。
おまえは実は人間なんかじゃなくて
銀狐の化身だろう」

「この辺りに、銀狐など、いやしないよ」

ふたりは昔のように笑いあった。

それから彼女は庭師に


「信じがたいことなのだが
彼は古い友人で
もう遅いので、今夜は友人として
母屋に泊まってもらうから」
と説明すると、庭師は


「では、寝室の準備をしてから
自室に引き取らせてもらう」


といって2階へ上がって行った。


「目つきといい、歩き方といい
あの、ご老人、只者ではないな。
おまえに何かしたら
すぐに飛び込んできそうだ。
少しおまえのお父上にも似ている」

「おまえも、そう思うか」


それから
彼女も、しばらく奥に引っ込んでいたが
やがて、普段着のシャツとキュロットに
着替え、大きな籠を抱えて戻って来た。


「おまえも、その黒い鬘をはずしたら?
今夜は冷えるから暖炉の側で食事をしよう」

と言った。

      冬の旅人 その2 につづく

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