「やさしい雨」の部屋 3

□冬の旅人 その3 暖炉
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 「今夜は冷えるし
暖かいものも、ないから
卓を暖炉の側に寄せて食事をしよう」


と彼女は言った。

そして卓にテーブルクロスを広げ
コーヒー沸かしの準備をし
籠から食器や食物を取り出して並べていった。


「鶏の蒸し焼き、ハム、オリーブ
きゅうりの酢漬け、白チーズ、りんご
あ、桃のコンポートとサブレもある。
ジョルジュ爺がわけてくれた。
まるでピクニックのお弁当だな」


「・・・なんだか不思議な雰囲気の
屋敷だな。妙になまめかしいと言うか」

「ああ、どこもかしこも薔薇色で
わたしも正直言うと
最初は落ち着かなかったのだが・・・
でも、今は気に入っている。
気持ちがふさいでいるときでも
ここに来ると不思議に元気が出るんだ。
彼がわたしを慰めるために
買って置いてくれた気持ちが今はわかる。
ここは元は、娼館だったそうだ」


「ほう・・なるほど」


男の手がふいに伸びて、彼女の耳元から
髪の中に差し込まれたかと思うと
そのほっそりとした喉元を掴んでいた。



「今なら、おまえを縊り殺せる」



「わたしも・・・
おまえに会ったら
殺されるのではないかと思っていた・・・」


男の声は低く落ち着いていたし
女の声も、半ば縊られて掠れてはいたが
静かで落ち着いていた。

ふたりは、しばらくの間、互いの瞳を
ただ、静かに見つめていたが
男の方が、ふいに、その手を離した。



「・・・以前はな。

本当に、殺してやりたいと思った。
しかし、そんなときは、もう過ぎた・・・
何故、抵抗しようとしなかった?」


「・・・一瞬だけ・・・
これも、わたしの運命なのかなって
思ったんだ。
おまえに再会したのも運命ならば
ここで終わるのも運命だって・・・」


女は、はにかんだように、微笑んで言った。



「死ぬのはもちろん、怖いのだけれどね。

でも

『ああ、まだ、生きている』

と、思う日もあれば

『人生は、うたかたの夢のようなものだ』

と思う日もあるんだ。

『もう少しの辛抱だ
少し目を閉じている間に
歓びも苦しみも
通り過ぎていってしまうんだ』

って、思う日も、ときにはある」



「おまえも苦労をしたのだな・・・」


それには応えずに
女は、ただ微笑んでいるだけだった。



「しかし、本当にショックを受けたんだぞ。
最初は、おまえも反乱軍の犠牲になったのかと
思ったが、パリに入ったとき
先頭に立って指揮をとっていたのが
金髪をなびかせた美形の将校だったと聞いて
おまえだと確信した。

裏切られたと思った。
ああ、憎いと思ったさ。
再び出会ったら本当に縊り殺してやりたいと思ったていた。
戦闘で死んでいなければ、どこかで野垂れ死に
でもすればいいと思った。

でも、どこかで、おまえらしいと
納得していた。
おまえはいつか貴族社会から
去っていくような気がしていたから・・・

でも、今はこうして生きていてくれて
また、会えたことが嬉しい。
今は、これも、運命だったと納得している」



彼は目の前の女を、あらためて見つめた。
その昔は少年のようにきらきらと輝き
ときには射るように鋭く見つめ返してきた
青い瞳が、彼をいたわるように
やさしく見つめている。


やつれていても、まだ十分、美しい。


質素な身なりをしていても
ふとした瞬間に
宮廷風の華やかで優雅な所作が零れる。


しかし、女は
苦悶の表情や折り重なって横たわる屍の
地獄絵を、その青い瞳に焼き付けて
この世に戻ってきた筈だった。
その苦悩がベールのように
輪郭を覆って儚くしているようで


────この女もまた、その美しさに
一生復讐されつづけなければならない
女のひとりなのだろうか・・・


と彼は思った。


「・・・それに
おまえが寝返らなくても
遅かれ早かれ、このような時代が
来ることになっていたのだろうと思う。

名門の生まれのおまえが
君の幼なじみと愛し合うようになったのは
そういうことではないのか。

それに、おまえは革命の口火を
切っただけかもしれないが
わたしは自らの手で、あの方を
奈落に突き落としてしまった。

あの時、わたしにもう少し
思慮があれば・・・」


「おまえが逃亡計画を立てたという噂は
本当なのか?」


「・・・そうだ」


男の顔が苦悩に歪んだ。


「そうか・・・」


彼女は黙って
彼に果実酒をすすめた。


      冬の旅人 その4 につづく

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