「やさしい雨」の部屋 3

□冬の旅人 その4 伝承
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 ふたりは暖炉の前の敷物の上に並んで
腰をおろしていた。


彼女は胡桃の殻を割って彼に勧めた。


「ここの庭で採れたものだ」

「なかなか味が良い」

「今年は、当たり年だそうだ」


「野垂れ死にするどころか
小ぎれいな屋敷に、柘榴や胡桃の木・・・
おまえ、なかなかの資産家ではないか」


「うん・・・亡くなった亭主のおかげだ」


彼女は薄く笑った。

静かな家の中で、胡桃の殻を割る音と
薪が燃える音だけが響いていた。


彼女は、男の杯に果実酒を注いでやりながら
口を開いた。


「・・・今のおまえには、何の慰めにも
ならないかもしれないけれど・・・

昔、わたしを姪のように
可愛がってくれた貴婦人がいてね。
その人が言った言葉なのだけれど

愛し合う男と女は悲劇なのだって。
そこに悲劇がなければ
それもまた、悲劇なのだって・・・」


疲れのせいか、酔いは思いのほか
早く回った。

そして、酔いのせいか
目の前の女が微笑むたびに
その身体が乳白色に透き通っていくような
気がして


────元は娼館だという屋敷に
棲みついている、女の亡霊と
相対しているのではないだろうか・・・


という不思議な思いにとらわれる。


「でも、この頃、思うんだ。
それは逆説じゃないかって。

わたしは・・・

わたしの不注意で、彼を死なせてしまって
若い部下たちを死なせてしまって
何度も何度も、もう生きていたくないって
思ったのだけれど
いつも思いとどまったんだ。


せっかく彼が、自分の命をかけて
わたしが生きていくことを促してくれたのに
後を追って来たりしたら
こんな意気地のない女だったのかって
がっかりするのでは、ないかって・・・」


青い瞳から、涙がゆっくりと溢れると
一筋、頬を伝って零れ落ちていった。

その頬に思わず触れてきた男の手を
押しとどめるかのように
女はそっと、自分の手を重ねた。


「こんな話を・・・聞いたことはないかい?

東洋の伝承ではね
女があの世に行くときには
最初に契った男が現われて
手を引いてくれるのだそうだ・・・」


そして、男の手をそっとはずしながら
言った。


「だから・・・
わたしが慌てて後を追って来たりしたら
あきれて、がっかりして、百年の恋も
いっぺんに冷めるんじゃないかなって・・・


それじゃあ、まるで喜劇じゃないかって・・・


・・・・おまえは
あの方と愛し合ったことを
喜劇だと思っているか?」


「・・・いいや」


「・・・・でも
やはり、悲劇はないに、こしたことはないって
思っているんだけれどなあ・・・
わたしは・・・。


さあ、もう遅い。
つづきは明日にしよう。
おまえも疲れているだろう。
寝室に案内する」


彼女は手の甲で涙をぬぐって
無理に笑顔を作ると、立ち上がった。



      冬の旅人 その5 につづく

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