「やさしい雨」の部屋 3

□ピクニック 後編
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 「考えて見たら、あいつがわたしに
譲らなかったことって
お弁当を広げる場所のことくらい
だったんじゃないのかなあ・・・」



────そして・・・
連れて来てくれた場所はいつも素敵だった。
町を見渡す広大な景色や
子供の顔ほどもある大きな芥子の花に
感嘆するわたしに

「な、言ったとおりだろう」

と言う、あいつの声はいつになく弾んで
得意そうで

それからふたり、幼なじみの
阿吽の呼吸で、敷布を広げ、コーヒーを沸かし
パンやチーズを切り分け夢中で食べた。
もっと本格的に、適当な石を拾って
炉を組み立て、火を起こし
枯れ枝をくべて
魚や肉を焙ったりしたことも
あったっけ・・・。



「俺は、もともと頑固なやつだと
思ってましたよ」


「ふ・・・ん、そうか。
まあ人間は、案外、相手によって
違う顔を見せているものなのかも
しれないなあ・・・。

そうだ
この人参とレーズンと胡桃のケーキは
絶品だぞ。
ジョルジュ爺の手製なんだ。

あの爺さんな
いつも苦虫を噛み潰したみたいな顔を
しているくせに、大の甘いもの好きで
お菓子作りが得意なんだ。
パントリーなんかパイやクッキーや
コンポートの瓶で一杯にしてるんだぞ。
まあ、一口食べて見ろ」


と言いながら、大きくケーキを切りとると
男に手渡した。


『隊長も、あいつにはまるで子供のように
世話を焼かれていたのに
俺には面倒見が良い。それに饒舌だ』


と彼はふふ、と笑った。


「何かおかしいことでも?」


「いいえ
あなたと兄弟のように育ったなんて
なんて、羨ましいやつだと思って」



────そういえば・・・
わたしたちは一緒に育ったのに
屋敷では正餐のテーブルについた記憶はない。
最後の夜、父上が一緒にテーブルに
着くよう勧めたのに、あいつは辞退した。

今思えば、あれは、わたしたちに対する
父上なりの思いやりであり
意思表示だったのかもしれない。
そして、それに対する、彼なりの
意思表示であり、矜持だったのかも
しれない・・・。

でも、そんなことはどうでもいい。
わたしたちには素敵な場所で
一緒に食事をした思い出は
無限にあるのだから。



────でも、どういうわけか
そのときの顔を思い出せない。

汗の絡んだ髪の甘い匂い
弾んだ声
咀嚼する音
コップを手渡してくれたときの
硬くて暖かな手の感触は
今も、なまなましいほどに覚えているのに。



しかし、そのときの記憶は
甘く、暖かく、彼女の心に流れ込んで来た。
そしてかわりに
悲しみや寂しさが
この春の空気のような暖かな流れにゆっくり
と溶け込んで流れ去って行くような気がして
彼女は、ほ・・・と、ため息をついた。



側に坐っている男の艶やかな黒髪にも
軍服の肩にも桜の花びらが舞い落ちる。



────何故だろう
この男には桜の花が似合う


と彼女は思う。


男はすっかり満腹して放心したような表情で
コーヒーを啜っている。



────そういえば
わたしはこの男のいろんな顔を知っている。

怒った顔も、泣いた顔も
笑った顔も、怯えた顔も。

そういえば昔
部下の、しかも年下の分際で
わたしを脅してきやがった。
それが、今では、こうして
ふたり並んでお弁当を広げている
なんだかおかしい・・・。



ふふっと笑うと胸に年下の男への
愛しさがこみ上げて来た。



「何かおかしいことでも?
俺の顔に何かついてますか?」


「いや・・・わたし・・・
今度、好きになった男の顔は
どんな顔も、覚えておこうと思って・・・」


男は女の無防備は顔を見た。


男の顔が輝いた。
そして、いとおしそうに女を抱き寄せた。


ふたりは、桜の花びらが舞い落ちる中で
くちづけをかわした。


         ピクニック おわり

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