末裔たちの部屋

□沙漠 その1
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 一番過ごし良い季節だと聞いていたのに

空港の外に出たとたん
強烈な日差しと乾いた熱風が
いきなり肌に突き刺さるようだった。


慌てて、胸のポケットから
レイバンを取り出す。


パリを発つ前の、数日間は
暗い雨の降る日が続いていた上に
惰性で生きて行くことが出来なくなったと
思った途端
押し寄せてくる面倒な事務処理を
全部を済ませてしまった後に残る
(いや、半分以上はベルナールに任せたが)
あの、特有の虚脱感に
我ながらガラにもなく感傷的になっていたから
春というより、もう初夏を思わせるような
この明るさは、ありがたかった。


その明るさのお陰で
いきなり視界が開けたような
救われたような、気がしたから。


空港でタクシーを拾う。


ポプラの並木に挟まれた
沙漠の中の一本道を嫌というほど走っていると


やがて遠くに
尖塔や巨大な玉ねぎのような形のモスクの
屋根や
それらと競い合って立っているかのような
近代的な銀色のビル群が、蜃気楼のように
現われた。


日干し煉瓦の建物
野菜や果物や、派手な柄物の服や
赤いプラスチックのたらいなど雑多なものを
並べた露店が、道路にはみ出して連なる
いかにも下町らしい賑やかな通りを
白い寝巻きのようなローブと
頭に白いスカーフを被ってその上から
輪投げの輪みたいなもので押さえるという
伝統的な服装の男が行く。


彼らとは逆に
真っ黒なベールで
頭のてっぺんから爪先までを
すっぽり覆った女たちが行く。


沙漠用のベージュの迷彩服を着た
浅黒い顔の兵士の群れが、通り過ぎる。



気がつけば、いつの間にか再び道幅は
広くなっていて
鋪道に植えられたヤシの木や夾竹桃が映える
眩しいような水漆喰の塀が目立ち始め
立派な鉄の門の大邸宅に
ブランドのブティックが点在する
ビバリーヒルズ風の町並みに、変わっていた。


銀行や官公庁が並ぶ町の中心部になると
行き交う人々も、ジーンズやビジネススーツの
西欧風の服装に、変化していた。



中心部のホテルに一泊してから
翌朝、事務所に出向くと


「明日なら、国境近くの駐屯地に向う
軍用トラックに便乗させて貰えるが。
すこし、遠回りにはなるが」


と提案してくれたので、喜んで同意した。



 翌朝、俺は、軍用トラックの助手席に
乗せて貰えることになった。

まだ若い、親切そうな軍曹は、フランス語が
堪能で、俺を気遣ってしきりと「水を飲め」
と言う。


「喉が渇いたと思ったときには
もう遅いですから」


知識というより、経験から学んだといった
口ぶりだ。


たしかに、汗をかいた気もしないのに
どんどん干からびていくような気がする。
皮膚もカサカサになる。
男たちは髭を伸ばし
女たちが布で顔を覆っているのも
理にかなったことなのかもしれない。



驚くほど鮮やかな
雲ひとつない青い空の下の
沙漠のど真ん中を突っ切って造られた
軍用道路の脇には


ほんのときおり


遊牧民が羊の群れを追っている姿や
日干し煉瓦を積み重ねた家が連なる
集落などが現われる。


それらの姿を見ると
首都を出てから、まだ数時間しか
走っていないというのに
100年も前に戻ってしまった気がする。


あとは、ひたすら、低く赤茶けた丘陵が
続いていた。


ところどころ地面が白く光っているのを
訝しげに見ていると
運転席の軍曹が


「塩ですよ」


と教えてくれた。



 夜は、小さな駐屯所に泊めて貰った。


食堂で兵士たちと一緒に
豆の入った羊臭いシチューと
羊臭い米と羊のヨーグルトを食べた。


日が暮れてしまえば、何もすることがない。


兵舎の外には、真っ黒な闇が広がっている。
遠くの町の光すら見えなかった。


闇と静けさが
ただ兵舎の灯を取り囲んでいた。



何の装飾もない部屋の
鉄製のベッドにもぐりこむと
すすぎが足りないような、ごわつくシーツは
きつい石鹸の匂いに混じって
かすかに羊とミントのような
イタリアンパセリのような
独特の香料の匂いがした。



今、何もない闇の中で嗅いでいるこの匂いが
後々まで鮮明な記憶となって
残っていくのだという事を
経験上知っている。



また、簡素な生活に戻って行くのだと
思った。



       沙漠 その2 につづく

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