末裔たちの部屋

□黒い瞳の少女 その3
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 俺たちは一本の柱に
互いに背に向けた格好で縛り付けられ
日干し煉瓦を積み重ねた上に漆喰を塗った壁の
まったく何もないがらんとした部屋にいた。

ひとつだけの窓には鉄格子が嵌まっている。


「ところで、どうして君が
狙われたのだろうな」


我ながら白々しい。
有名な金持ちの奥さんなんだから。
周囲は気づいていないフリをしているけれど
世の中、善人ばかりだとは限らない。
今まで、そういう事が起こらなかった方が
おかしかったのかもしれない。


「・・・さあ、どうしてだろうな〜
売り飛ばすには
少々トウが立っていると自分では
思っていたのだけれど。
もしかしたら、まだ、イケてるのかな」


ほ〜白々しい女。


「ところで午後からの予定は
どうなっていたっけ?」


今度は、彼女の方が聞いてきた。

彼女は、目の前のことに全力投球するタチで
ときどき、こちらが驚くほどの
集中力を見せてくれる代りに
先の予定を覚えておくのは
少々、苦手なところがあるようだ。

だから、いつの間にか彼女のスケジュール
にまで、気を配るようになってしまって
俺は秘書のような役目まで
負ってしまっている。
でも、何故か、それも、嫌ではない。



「現地スタッフを指揮しながら
B地区の家庭訪問を
する予定だったんじゃなかったっけ」

「ああ、そうだった。
それが終わったら
今日は丸1日、外来から
外してもらっているから
溜まりに溜まっているデータの整理を
しようと思っていたのに・・・。

・・・こうしていても
イライラしてくるだけだから
なにか話でもしていようよ。
なにか、面白い話でもないか?」


と、彼女は言った。
たしかに彼女の言うとおりだ。

考えようによっては彼女とさらに親しくなる
またとない、チャンスとも言える。


『絶対絶命の危機を共有した男女が
恋人同士になる確率の高さについての
調査報告』


とかなんとかいう記事を
昔、雑誌かなにかで目にしたことがあるが

そういう危機に瀕した男女は、その直後
かなりの高確率で恋人同士になるそうだ。

それは、恋のドキドキと死の恐怖の
ドキドキを取り違えるからだとか。


しかし、普通に出会う場合よりも、早い時期に
破局を迎える確率も高い・・・ようなことも
書いてあった。

だから、その記事を読んで以来
ハリウッド映画を見ても
(たとえばちょっと古いけれど
「スピード」見たいなの)


『あいつら、この興奮が醒めたら
すぐに別れるぞ〜』


なんて、妙に白けるようになって
しまったけれど・・・


・・・ん!?あれ・・・
まあ・・・そんなことはどうでも良い。


とりえず、なにか、彼女の緊張を
ほぐすような話題を捜すんだ・・・。


しかし、彼女の方がよほど、落ち着いている。
何と言うか、冷静沈着で
守るべきか弱い女性・・・と言うよりは
なんだか頼りがいのある軍曹と一緒にいる
ような気がしてくるな・・・

いつの間にか、そんな事を考えていたら



「結婚していたんだって?」



と彼女の方から、先に俺に聞いてきた。

なんて、唐突なんだ。



「うん・・・まあ・・・」


「何故、別れたの?」


「う〜ん・・・そうだな・・・」



壁にはルイ・イカールのリトグラフ
壁紙とお揃いの薔薇の模様のクッション
赤いビロードのカーテン
ごってりとレースの着いた服を着た
アンティークの人形や
ティファニーランプなんかが置かれ
ショパンのワルツなんかが
聞こえてきそうな・・・


俺にしてみたら、正直、居心地が悪くて
仕方がなかった夫婦の寝室のベットで
自分の妻だと思っていた女が
見知らぬ男の項に腕を絡めながら
喘いでいるのを見たとき
どういうわけか、俺は
ただ、呆然と突っ立っていたんだ・・・。


たぶん、何と言うか・・・


一瞬で、彼女の気持も、何もかも・・・
理解したのだと思う。


もしかしたら、その事が一番
彼女を傷つけてしまったかもしれない。


いや、それは、単なる、俺の自惚れ
かもしれない・・・。



「ずっと擦れ違いのような生活だったから

『このまま無理に結婚生活を続けていく事も
ないんじゃないかな』

『それもそうね』

って、穏やかに話し合って
お互い同意の上で」


「へえ・・・ふたりとも随分
物分りがよかったんだな」


「うん・・・
彼女の気持は、よく解った。
学生時代に知り合ったのだけれど
彼女、アパレルで成功してね。
『カロリーヌ』ってブランド知っている?」

「ああ・・・知っている。
フリルや、レースや、ドレープが得意な
思いっきり甘くてエレガントな高級服だな。
わたしには縁がないような」



おいおい・・・ヴァレンティノを着ていた女が
よく言うよ・・・。



「つまり、彼女は成功した女だったんだ・・・
いや、本人は、そうは思っていないのかも。
いつも、もっと上へ行こうとしている。
真面目で地道で精力的な努力家だよ。

まず、婦人服がパリで売れたら
リヨンとマルセイユに店を出した。
このふたつをすぐに畳んだと思ったら
今度は、東京に支店を出した。
これが良かったみたいだ。
ニューヨークや香港・・・と順調に
支店を増やして行った。

それから、子ども服を手がけ始めた。
それから、今では香水や化粧品
食器やインテリア用品まで手がけている。
連日、テレビや雑誌の取材
新作の発表会、それからパーティーに会食に
観劇の招待に・・・
でも、そういう華やかな場が大好きで
ちっとも疲れないってタイプだったんだ。

でも、亭主はいつも留守だろう。
彼女は、いつもエスコートしてくれる男を
捜さないと、いけなかったのさ」



   黒い瞳の少女 その4 につづく

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