末裔たちの部屋 2

□雑木林 その7
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 プールやテニスコートを占拠しては
大音響で音楽をかけて騒いでいる
エマニュエルと取り巻きたちは
ここでは、完璧に浮いていた。


彼らが来る前までは
プールもテニスコートも
めったに使用されずに、ひっそりと静まり
返っているときの方が多かった。

ここの住人たちはプールもテニスコートも
各々のヴィラに付属しているものを
ひっそりと使用する。
それらは果樹園や雑木林に囲まれて
外からは見えないようになっていた。


雑木林の中に点在するヴィラに
人々は静寂を楽しみにやって来る。

大きな声を立てることもない。
酒もベランダか居間で静かに飲む。


そして、ここでは大会社のオーナーが
自らハサミを握って薔薇の剪定を
していたり
某大臣がくたびれたシャツとジーンズ姿で
ペンキを塗りかえたりしている。


つまり、ここは普段とは違う
素朴で静かな生活を楽しみに来るところであり
静寂こそが、ここの住人が守るべき
最優先事項だった。


親たちの放任主義のお陰で
どちらかと言えば自堕落で奔放な生活を
送っていた僕らやJ・・・家の娘たちですらも
その事だけは、よく心得ていた。
真っ赤なコンバーチブルで
奇声を上げながら走り回るようなことは
考えつきもしなかった。


だからエマニュエルとその取り巻きたちは
他の住人からは眉を顰められていたけれど
そろそろ気づいても良い頃ではないかと
虚しく期待されていたというか
いや、解るわけはあるまいと蔑まれていた
というか
余りにも鈍感で粗野なので注意する気すら
起らないというか
むしろ不気味というか

誰も関わりたくない、というのが
本音だったのかもしれない。

つまり、皆、心の中では軽蔑しながら
我慢して無視を決め込んでいた。


ところがある日、ドミニクに
「明日、俺と一緒に来てくれないか」
と頼まれた。

エマニュエルのヴィラに。


母親である女優のシルビアが
昨日パリから着いて
わざわざ先方から

「一度、挨拶しておきたいから」

と言って来ていると言う。

「エマニュエルと顔見知りのおまえも
是非、連れてきてくれるようにと
頼まれた」


ドミニクは映画界で働き始めたばかり
だった。
僕らの父は「偉大な」と呼ばれている
脚本家だったし
叔父も映画プロデューサーだったけれど
このポルノ出身の世界的に有名な女優の
申し出は、ドミニクにも断りづらいと
いうのは、理解できた。



「ちょっと顔を出すだけで良いなら」


と、しぶしぶ承諾した。



 東欧とも中近東の血を引くともいわれる
神秘的な美貌と豊満な肉体で
若い頃には世界の恋人と謳われた女優も
近くで見ると、ちょっとくたびれて
やさしげな中年の婦人だった。

僕の身近に居る同じ年代の婦人たちと
さほど、変わらない。
象牙色のシルクのカフタンに白いパンツ
金のイヤリングやバングルが、品良く
似合っている。
しかし、その大柄な体は
やや豊満になりすぎてはいたけれど
シンプルなドレスをぐいっと
持ち上げているような迫力があって
未だになまめかしく
彼女の前半生を思い起こさせた。

ポートレートで埋め尽くされた壁に
白い革張りの大きなソファに毛皮の敷物
ラベンダー色のグランドピアノ
クリスタルの花瓶一杯に活けられた
真紅の薔薇にアールデコ風のカップボード
といった、いかにも女優の居間で
シルビアとドミニクはシャンパンを片手に
楽しげに世間話をしていたけれど
1時間近くたっても
エマニュエルが現われないので
僕に対しては、すまなそうにしている。

大女優の彼女にとってもエマニュエルは
ちょっと、手に負えない我がまま娘なのだろう。

気持は解る。

でも大幅に遅れてくるのは女王様タイプの
常套手段で、処世術でもあるのだろう。
恐らく、エマニュエルもまた、それを
大女優の母親から習ったのだろう。


「あの子ったら・・・
でも、いつもそうなのよ。
いつもとんでもなく、お化粧に時間を
掛ける子なのよ。
本当に、ごめんなさいね」


「いいえ、お気遣いなく。
それよりも、マダム
庭を見せていただいていいですか?」


出来るだけ愛想よく
余所行きの笑顔を浮かべながら言うと


「ええ、どうぞ、どうぞ」


シルビアは、少しほっとしたような
顔をした。


     雑木林 その8 につづく

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