末裔たちの部屋 5

□旅立ち その1
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────実は今日、海外に派遣される医師団に
応募してきた。
今まで実務経験が足りなかったのだけれど
今月でやっと応募資格を満たせるように
なったから。

これは、子どもの頃からの夢で
周囲にもそう語ってきていたし・・・。


「わたしは、出来るだけ
余計な感情を入れないように話していたつもり
だった。

彼も、冷静に聞いているように見えたのに
突然、蒼白になって
わたしの首を絞めた・・

・・・わたしは、意識を失った・・・」



彼女は一瞬、大きく身を震わせたかと
思うと、両手で顔を覆ってしまった。



彼女はそのまま、しばらく黙っていたけれど
再び、搾り出すように話し始めた。




「・・・翌朝、目が醒めたら
わたしはベッドにいて
フローリアンはいなくて
彼の温もりも、もう、そこには残って
いなかった。

わたしが最初に思ったことは

『ああよかった、先に出かけたんだ。
今日は遅刻せずに職場に行ける。
少なくとも、明日の午後までは顔を会わせずに
いられる』


ということだった・・・」



彼女は、また、皮肉な笑い方をした。



「そして、ゆっくりシャワーを浴びて
バスローブを羽織り
コーヒーを沸かしに厨房に行こうと
寝室を出たところで銃声を聞いた・・・


フローリアンは書斎で

猟銃で自殺を計ったんだ。


彼は命を取り留め半年ほど病院に入っていた。


わたしは彼の退院と入れ違いに、家を出た。


・・・これが、アンドレに出会うまでの
・・・わたしだ・・・」



彼女は顔をくしゃくしゃにして泣いていた。



「・・・こんな女、嫌になった?」



・・・何を言うんだ・・・
つらい過去を抱えているのは気づいていたさ。


俺は、君が、ふと呟くのを何度も聞いたよ


『わたしは、馬鹿だった・・・』

って。


あの、インフルエンザが大流行したときも。


80床しかないベッドに300人以上の患者が
押し寄せてきた。

ひとつのベッドに5人の子どもたちを
寝かさないといけなかった。

俺たちはその頃、特に栄養状態の悪い子供たち
の為の、入院施設を任されていたけれど
そこにもインフルエンザはあっという間に
広がった。


スタッフ全員が一週間、不眠不休で働いた
けれど、到底、全員を助けられないのは
解っていた。


体力のない子どもたちには
すべての合併症状が一時に襲ってくる。


高熱、脱水症状、衰弱・・・
薬品もリンゲルも粉ミルクもたちまち
底をついた。
地元の病院にも患者が押し寄せている状態では
救援を要請することも、物資を分けて貰うこと
も期待できない。


粉ミルク、ピーナッツバター、ジャム
砂糖、飴玉・・・

何もかもかき集め、湯で溶いて与えた。
とうとう咳止めのシロップまで
与えられるものは何でも与えたけれど
補給がまだ到着しない
砂の嵐に阻まれているせいだ・・・

子どもたちの生命力に頼るしかなかった。


そして、結局、30人の子どもを
死なせてしまったのだった。


そのときも

『わたしは、馬鹿だった』


君はそう呟きながら
地平線に沈んでいく夕陽を睨んでいた。

まるでその事が、信じられないことで
あるかのように


『涙も出ないこの苦しみに比べたら
何でもなかったんだ・・・』


そう、呟いていた。

その、頬がげっそり窪んでしまった横顔を
見つめながら、そのとき、確信したんだ。
過去を振り切る為に、来たんだって。



「では、どうして、俺に抱かれた?
それは、君の意志だったのだろう!?」




       旅立ち その2 につづく


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