いろいろの部屋

□努力の人 後編
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 ─――─わたくしはあの人の手から手袋を
はずすと
震えながら自分の胸に押し当てました。

あの人の頬にみるみる紅の色が
さしてきました。

そのわずかな間に、ふたりの心臓の鼓動が
高鳴るのを感じました。

もはや、それは恐怖ではなく
それは恋の為に高鳴ったのだということを
わたくしたちはお互いの目を見つめ合いながら
認めたのです!!・・・



・・・はあ・・・
だいたい、幼なじみと言うものは、やっかいな
ものだ。

お互いの大抵の事は知ってもいるし
見てもいる。

いまさら、わたしがアンドレを見て
顔を赤らめたりする事なんてあるのだろうか。

アンドレにしたってそうだ。


 子供の頃、人恋しくて寂しい夜や
雷の鳴るような恐ろしい夜には
よくアンドレのベットにもぐりこんでいた。

アンドレも・・
まあ、アンドレは、たいていは
ばあやのベットに行ったのだろうけれど
わたしのベットにもぐりこんで来ることも
あった。


子供同士の気分というものは共鳴するもので
わたしが眠れない夜はアンドレも眠れない。
起きていて相手をして欲しいのに
すぐ眠ってしまう大人よりは
お互い都合が良かった・・


ただ、それだけのことだった・・・
のかもしれない。
そういうことを、いけない事だと知るのは
もっと先のことで、今考えるとずいぶん無茶な
育てられ方をしたものだが
子供の頃はお互いを兄弟のように思っていたの
だから、わたしとしては母上や姉上のベッドに
行くよりも自然な事だったのだ。


だからアンドレとは、子供の頃から寝ている。



 いつの間にか、また、子供の頃のように
ひとつのシーツに包まって
もぞもぞ動いている。


湿気て生暖かくなったシーツの感触は
嫌いだったのに、今は少しも気にならない。

そして、以前はまだそれ程暑くない時分でも
麻のシーツに取り替えさせていたのに
今は絹のシーツの優しい感触の方が好きだ。
男を好きになると肌の嗜好までも
変わるものなのかもしれない。 

こんな風に湿気て生暖かくなったシーツに
ふたりで包まって、だらしなくしているのは
好きだ。


ただ、子供の頃と違うのは・・

アンドレはなんだか、焦っているみたいだ。


「・・・愛している・・・」


そう、アンドレは絶妙のタイミングで
「愛している」を言う。さすがだ。


アンドレの「愛している」とキスだけは
本当に効く。
なんだかのろけているみたいだが。

わたしだって、ごく自然に「愛している」と
言ってみたい。

でも、いざ、言おうとすると
いまさら、何だか、恥ずかしいというか
晴れがましいというか・・・

ぎごちなくなってしまう。


これは、当世風の恋愛小説よりも
本人に直接ご指南願ったほうが
手っ取り早いかもしれない。


「あの、ひとつ聞いていいか?『愛している』
って言うときは、どんな時なのかなあ?
ええっと、その時、おまえ、何考えてる?」


「愛しているから、愛しているだろ!?」


アンドレが顔を上げて
呆れたようにわたしを見た。

「それは、解っているのだけれど
もっと具体的に説明して欲しいと
言うか・・・」


「いちいち説明するものかあ?」


「無理は承知で、大変申し訳ないのだけれど
是非(後学のために)」

「う〜ん、そうだな・・・
いろんな気持ちが口を衝いて出てくると
結局『愛している』になるのかな・・・

『もうこのまま死んでもいいっ』とか
『お前は俺のものだ』とか
『死ぬまで離すものか』とか
『俺を捨てないでくれ』とか・・・

あ、恥かしっ」


おや、アンドレは赤くなって
そっぽを向いてしまった。

それにしても
なるほど、実に奥深い言葉なのだな。
それに、歯が浮くようだと思っていた
当世風の恋愛小説の中の台詞も
まんざら絵空事というわけでは
なかったようだ。


「ところで、おまえは何考えている」


「え、わたし!?わたしは・・・?
知らない・・・」


「ずるいぞ、俺だけ恥かしい思いをさせてっ
言えっ」


アンドレがわたしの脇をくすぐってきた


「あはは・・・くすぐったい。
やめろ、ちょっと待って、考えてみる。

そうだなあ・・
わたしの場合はもっと穏やかな感じ。
心休まるゆったりとした感じ。
両手を広げて何もかも受け入れたいような
懐かしいような・・・そう、懐かしい・・・
長い旅から戻って我が家の匂いをかいだときの
ような・・・
そう、ただいまって感じかな・・・
愛しているよアンドレ」

「『愛している』は『ただいま』か・・・」


「ヘンかな?」


「ヘンじゃないさ
俺もおまえに帰りたい・・・」


アンドレが柔らかく身体を押し付けてきた。




 「オスカル」


「わ」


「うたた寝をしていたのか。
今日は午後から会議ではなかったのか?
そろそろ支度をしたほうが良いのでは?」


服を着たアンドレが
端正で有能な秘書といった顔で
わたしの顔をのぞきこんでいる。

わたしはと言えば
長椅子に寝そべって本を腹に載せたまま
眠ってしまっていたらしい。


「顔が赤いな、熱でもあるのでは?」

「だっ、だいじょうぶ。今、支度する」

わー恥かしい。
アンドレの夢を見ているところを
アンドレに見られるのが
こんなに恥かしい事だったとは・・・


しばらくは、まともに目を
あわせられそうにない。



          努力の人 終わり

           2012.10.24

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