ルドヴィカの部屋

□手 前編
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 「まあ、せっかくの黄金髪が
こんなに痛んでしまって・・・
なんてことでしょう。

疲れて帰っていらっしゃって
すぐにお休みになられたい
お気持ちは、解りますけれど
もう少し、真面目にお手入れなさらないと
今に後悔なさいますよ」

侍女のルドヴィカは
主家の末の令嬢の髪を
目の粗い櫛で、丁寧にほぐしながら
香油を浸み込ませていった。

「おや、ルドヴィカは
ワトーの絵から抜け出てきたような
美少女なのに、ばあやとそっくり同じ事を
言うんだなあ」

と令嬢は揶揄する。

彼女は肩と裾に薄紅色の
牡丹の刺繍を施した
白地のちりめんのキモノを纏って
安楽椅子にゆったりと身をまかせていた。
そして、その割れた裾から
白くて長い、形の良い脚を
きわどいところまで露にして浴槽に浸し
気持ち良さそうに目を細めている。

そのような姿でいると
いつものナルシスのような印象ではなくて
やはり、その年なりの
咲ききった花のようなあでやかさと
何やら、伝法な女のような凄みもあって

『なんだか鳥肌が立つようだわ』

と、ルドヴィカはそっと感嘆する。

しかし、少年のような気さくな口調は
いつもと変わらないのだった。

「その、ばあやさんに頼まれたんです。
お嬢様がもう少し御髪やお肌に
気を使うよう諭してくれって・・・。

お嬢様はすごくお綺麗ですけれど
だからと言って、全く自然のままに
任せておいて良いというものでも
ないと思います。

お嬢様のように特に細くて柔らかい黄金髪は
卵とブランデーを泡立てたものが良いです」

「へえ、卵とブランデーなんて
旨そうだな。それに精も付きそうだ」

「いいえ、召し上がるためじゃ
ありません。
よく泡立てて、それで
頭皮をそっと揉むように洗うんです。
そして、仕上げにカミツレのお茶を
濃く煮出して冷ましたものに、浸すんです。
そうしないと、淡い色の髪は
艶と輝きが出ないんです。
そして、ときどきこうして油を
少し浸み込ませて蒸すんです」

侍女は令嬢の髪を束にして
ゆるくねじり上げると、頭の上でまとめ
手早く布で包み込んだ。

それから令嬢の片手を取り
クリームを延ばすと
指先でくるくると円を
描くようにして
マッサージをしていく。

「あ〜気持ちが良い。
手に触れて貰っているだけなのに
全身の疲れまで、抜けて行くようだ」

「まあ・・手にあかぎれや、ささくれのある
ご令嬢なんて、聞いたこともありません。
あとでひまし油をすり込んでおかないと」


「ルドヴィカはマッサージが、上手なんだね。
それにいろいろ詳しい」

「母が田舎で美容師をしているんです。
わたし、長女でしたから
いつも側で手伝いを、していたんです。
それで自然に覚えたんです」

「へえ、お母上は素敵なお仕事をお持ちだね。
きっとルドヴィカのように
しっかり者で美しい方なんだろうね」


ルドヴィカは母親を褒められて
はにかみながらも、少し得意そうに
その可愛らしい桜色の鼻を
うごめかした。


「いつも母は申しておりました。
何も難しいことではないって。

古くなって硬くなった皮膚を温めて
ふやかして、やさしくマッサージして
取り除いて、そこに栄養を
与えてやるだけだって。
何も高価な物を
使う必要もないって。

母は身近にある、巴旦杏油や羊毛蝋、蜂蜜
蜜蝋、薔薇水などでクリームや美顔水や
ハンガリー水まで、手作りしてしまうんです。
それで近所のおかみさんたちを
綺麗にしてあげるんで
とても人気があるんです」

「へえ・・・
それは、たいしたものだ」


得意気に話す少女の様子が、愛らしいので
オスカルも思わず微笑みながら
相槌を打っていた。


───この娘と話していると
誰かを思い出す・・・
と思っていたら
少女の頃のカトリーヌ姉だ。


しっかり者で、おせっかいで
あの、おっとりとした母上よりも
口が達者で
たいして年も離れていないのに
まるで母上の名代のように、振舞うので
子供の頃は、それが癪にさわったものだが


そのくせ、何か困ったことがあって
泣きついていくのも
まず、長女のアンヌ・マリ姉でもなくて
カトリーヌ姉の方だった。

大人ぶった口調で


『まったく、しょうがない子ねえ』


と言いながら、よく面倒を見てくださった。
今思えば健気で優しい姉だった。

それが、ご結婚がきまったとたん
急に無口になってしまったのを覚えている。


一番遠くに嫁いで行ってしまわれた。
しばらくお会いしていない。
元気にしていらっしゃる
だろうか・・・。


「母はこんなことも
申しておりました。
旦那様方や、奥様方が出入りされるような
高級な店のクリームや軟膏も
牝牛の乳房のただれに塗ってやる
獣脂も、蹄油も、中身はたいして
かわりゃしないって。

香りをつけて
綺麗な器に詰めて、ご大層にリボンをかけて
とんでもない値段をつけて並べて
あるだけだって」

「ひずめ油?」

「ええ、硬くなった膝やかかとには
蹄油が一番なんです」

「へえ、馬の蹄も人のかかとも
似たようなものなんだな」

ルドヴィカは薔薇水に浸して絞った布で
令嬢の手を軽く拭うと

「終わりました。
次はおみ足を、お出しになってください」

と言った。

「わあ、すっかり綺麗になった。
ありがとう。
まるで、手だけ女優みたいだ。
それに爪も磨けば、こんなに綺麗に
なるんだなあ。桜貝みたいだ」


令嬢は自分のを手を
惚れ惚れと眺めている。


「ところでお嬢様
最近、あの亜麻色の髪の背の高い方は
いらっしゃらなくなりましたが
あの方との婚約を、解消されたというのは
本当ですか?」

「ああ、そうだけれど
それが何か?」

令嬢は、少し怪訝な顔をして
侍女の顔を見た。
        
             「手」後編に続く

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