ルドヴィカの部屋

□勘 その3 父と娘
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 お父様とお母様は、わたしたち姉妹を
誰一人修道院にもやらず、嫁ぐ日まで
手元で育てた。
出来る限り、食卓も一緒に囲んだ。

世間では

「まるで、百姓の一家のようだ」

と陰口を叩いて、いたようだけれど
子供好きで仲の良い両親の元で
育つということが、どんなに
幸せなことだったか、ということは
大人になった今、良くわかる。

そして、お父様があの子を

「男子として育てる」

と言い出し、お母様もそれを
さほど強く反対なさらなかった理由には
せめて、ひとりくらいは長く
できればずっと手元に
置いておきたい・・・というお気持ちも
あったからではないかしら。


さて、後年、お母様から聞いた話だけれど
お父様が、妹を男の子として
育てようと思い立ったその発端は
びっくりするほど大きなその泣き声
だったそうだけれど

「しかしまあ、大方、勘だったな。
こいつなら、いけると思った」

と、おっしゃったそうだ。

やはり父と娘は似ていると
お母様とわたしは苦笑した。

しかし、泣き声が人並み以上に大きい
ということは、肺活量が人並み以上
その他の身体機能も人並み以上に
優れている、という可能性もあったわけで
お父様の勘も、5人の娘を手元で
育て上げた父親としての経験に
きちんと裏打ちされていた・・・
と言えなくもないのでは、と思うのだけれど。

そして、周囲の心配やら
呆れ顔やらをよそに
お父様の予想通り、あの子は
並外れた運動神経と体力と
呆れるほどの集中力を備え持ち
しかも丈夫で病気ひとつせずに
すくすくと育った。

年のわりには背が高く
そして子供にしては
今にして思えば
ちょっと薄気味悪いくらい
顔立ちが整っていた。

青い宝石を嵌めこんだような瞳
白い肌、薔薇色の頬はまるで
精巧に作られた陶器のお人形のようで

それがあくびをしたり
ごはんを口いっぱいに
頬張ったりしているのが
なんだか不思議に見えるような
子供だったのだけれど

それは本人のせいではないし
わたしたちの両親は容姿を値踏みをしたり
お世辞を言ったりするような
無責任な大人がひしめく社交の場に
子供を連れ出す、などという事は
しなかったので
当の本人はまるでそういう事に
頓着はなかったというか
気づいていなかった。

しかし、そういう
大らかな両親の元で屈託なく育ったせいか
わたしたちの子供時代は
長く平穏で、そのせいか
わたしにしても、あの子にしても
もののあわれ、というものが
いまひとつ解らないというか
情緒はむしろ幼い方だった・・・
かもしれない。


突然、我家にやって来た男の子は
小柄で、無口でその年なりの幼い
頼りなげな顔をしていた。
そのくせ、時折、大人のような
深いため息をついて
放心したようにぼんやり坐ったままで
妹の呼ぶ、甲高い声にも
まったく気がついていない
という事もあった。

そんなときお母様は
そっとわたしたちに目配せして黙らせ
側に来るように手招きしてから

「あのようなときは
そっとしておいてあげなさい。
あのようなときには、あの子は
きっと天国のお母様と
お話をしているのですよ」

と、おっしゃるのだった。


わたしたち3人は、2年ほど
一緒に屋敷で過ごし、よく遊んた。
しかし、わたしだけには
子供の時代の終わりの・・
もう、近い将来、嫁ぎ
住み慣れたこの家を離れるのだ
という予感はいつもあった。

そして、お母様の部屋でお裁縫を
習っているときなど
ひどくやるせない気分になることもあった。
そんなときに我知らず、窓からふたりが
庭を横切って行くのを、ぼんやりと
目で追っていたりするのだった。

すらりと伸びた足で、大股で
ずんずん歩いていく妹の後ろを
小柄な男の子が一生懸命付いて行く
その後姿は、頼りなくて
その華奢な肩に、子供ながら
寄る辺のない寂しさや
生きて行くことの悲しみや
つらさを背負っているようで
わたしもやるせない気持ちに
なったりしたのだった。

あの頃、妹は
彼のことをどのように
思っていたのかしら。

         勘 その4につづく

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