「やさしい雨」の部屋

□幼なじみ その3 頼みごと
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 女物の服や靴やショールなど
療養所に入る前にロザリーがよく吟味をして
数点用意してくれたのだが
結局、着慣れないので
また男装に戻ってしまった。



風にさらわれた洗濯物が庭木にひっかかり
洗濯婦たちが騒いでいるところに
通りかかったので、登って捕ってやった
などということは、たしかに
2、3度あった。


療養所に来て間もない頃のこと
彼女が鍵を閉め忘れて出かけた自室の扉から
男が忍び込んでいた、という事があった。



 部屋に戻って来て扉を閉めたところを
いきなり後ろから覆いかぶさってきて
耳元に

「お慕いしております」

と囁かれたので

びっくりして、思わず反射的に背負い投げで
投げ飛ばしてしまった。


まさか痩せた女が、こんな力を出すとは
思いもよらず、油断していたのだろう。
男は大柄だったが、勢いよく卓子の上に
叩きつけられ、卓子が砕けると同時に
その上に置かれていた大きな陶器の花瓶も
床に落ちて派手な音をたてて砕け
人々が駆けつけるというさわぎに
なったのだった。



その様なことが、大袈裟に広まったのだろうと
彼女は苦笑した。


いつの間にか、ふたりは夕食をすっかり平らげ
一緒にコーヒーを啜っていた。



「腹ごなしに、少し庭を歩きませんか?」


と青年が手を差し出したので
彼女も精一杯、愛想の良い笑顔を作って
貴婦人の仕草で手を差し出した。


食堂を横切っていく彼らを
人々は好奇の目で眺めていた。



「ここは一般社会の枠から外れた場所では
あるけれど
それでも人間の社会である以上
自然にまた、枠というものが生まれるんだ。
そして人々はその枠から外れないように
恐恐としている・・・

でもあなたは、そういう事を
少しも気にしていないように見える」



『気にしていないのではなくて
実は途方にくれているんだ。

具体的に、ああしろ、こうしろと
指図してくれる教師でもいてくれたら
言われたとおりに、するのだがな・・・』


と彼女は心の中でまた、苦笑する。


───女なのに男として育てられた自分は
生まれたときから
大きく枠からはずれていた筈なのに
あまり疎外感も孤独も感じないで
ここまで生きて来られたのは
やはり大切に守られ
甘やかされて来たからなのだろう


と彼女は思う。


「ところで・・・
折り入ってお願いがあるんだ。

あなたのような人でないと
務まらない事なんだ」


青年は急に思いつめたような顔になった。




       幼なじみ その4 につづく

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