とりどりの部屋

□霧の中 その3 子爵
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 翌朝、彼女は熱を出して
少し吐いた。


「旅の疲れでしょう。
ゆっくりおやすみになれば
元気になられますわ。
今日も一日、霧は晴れそうにありません。
どうせ、お発ちには、なれませんわ」

彼の前にカフェオレの茶碗を置きながら
女は言った。


「大佐には、後で薬湯をお持ちして
何か召し上がれそうなものが、あるか
うかがって見ますわ」

彼はなんとなく
この女とは目を合わせにくいな
と思いながら礼を言った。


女が厨房に下がると、入れ違いに
子爵が居間に入ってきた。
そして彼の向かいに坐った。


「ご主人は、体調が
よろしくないそうですね。

夕べは、久しぶりに魅力的な客人を迎えて
嬉しかったものですから
早めに床に入られるように
お勧めするべきところを
すっかりお引止めしてしまって
申し訳ないことをしてしまいました。

まあ、2〜3日ゆっくり休んでから
出発なされば良い。
このような辺鄙なところで
気の利いた、おもてなしも
して差し上げられませんから
あなた方も、つまらぬ気兼ねなど
なさらぬことですよ」

「ありがとうございます」

心のこもった子爵の言葉に
彼は礼を言いながら


『この子爵の
内側から滲み出てくるような
温かな感じは、ちょっと他には
知らないな・・・』


と彼は思った。


「ところで・・・
大佐は、女の方なのですね。
夕べ、お話をしているうちに
気がつきました。

以前、王宮には女性の近衛士官がいると
聞いたことがありました。
ある将軍が男子に恵まれなかったので
末の令嬢を軍人に育て上げたのだと・・・」


子爵の顔にいかにも興味深そうな
笑みが浮かんでいる。


「それは主人のことだと思います」

「その話を聞いたときには
なんという神をも恐れぬ大胆なことを
したものだ
そして、その様に育てられた女は
さぞかし猛々しい大女に違いないと
あれこれ想像したのものですが
むしろ美少年めいた方ですな。
立ち振る舞いが軽やかで
伸び伸びとしていて
まるで不自然なところがない」


「子供の頃から男として
育てられたので
本人はそれを不自然な事だと
思っていないからでしょう」


「あなた方は主従と言うよりは
仲の良い兄弟のように見えますね。

いや、兄弟よりもっと近い・・・

そうですね・・・
夕べ、お話をしているときに
一瞬、そこに双子の兄弟が
座っているかのような・・・
そんな錯覚をしてしまったことが
あったのです。

そう・・・それはまるで
お互いの身体のいろんなところが
無数の見えない糸で複雑につながっていて
お互いに、引いたり
引き寄せられたりしているので
だから、側から見ていると
何だか、すこし窮屈そうで
不自由そうなのだけれど
あなた方は、満足しているせいで
気にもしていない・・・


お話しながら、そんな事を
想像してしまいました。

不思議ですね、外見はまるで
違っていらっしゃるのに・・・

あ、いや、申し訳ない。
夕べ、お会いしたばかりの方に
ずいぶん、不躾な事を
申し上げてしまったようだ・・・」


子爵の言葉に彼は苦笑してから


「いいえ・・・
子供の頃から兄弟のように
一緒に育ったものですから
その様に見えるのでしょう。

側目には、あまり
見好いものではないということは
承知しておりますが
お互い、今更、口の利き方や態度を
改めるのが難しいので、とりあえず
そのままに、しているという
ことでしょう」

と言った。


「なるほど・・・しかし
あなたは、あのように麗しい方と
四六時中、一緒にいて
全く異性として意識しないというのは
難しくはありませんか?」


「もちろん、わたくしも男ですから
その様なことはあります」


「つらくはないですか?」


「そうですね・・・
あのままずっと
男の子のままでいて欲しいような
いい加減に大人になって欲しいような・・・
無邪気でお転婆な妹を見守る兄の心境とは
ちょうど、このようなものではないかと。
恐れ多いことですが」


と、彼は微笑んだ。


「ほう・・・
兄のような心境ですか・・・」

そのとき、女が戻ってきて
子爵の前に茶碗を置き
また、去って行った。


「気持ちの良い方ですね。
あのような綺麗で気立ての良い女性を
ひとり置いて、去って行った若者が
いるなど、とても、信じられない」


子爵は、一口啜って
ゆっくり茶碗を置いてから口を開いた。


「彼女が話したのですか・・・。

ええ、マルクというのは
我家に出入りの公証人の息子でした。
近隣に遊び相手になるような年頃の子供が
他にはおりませんでしたので
度々ここに呼ばれました。
ミレーユは妹の侍女でした。
わたしの母の乳母の孫娘にあたり
少女の頃には孤児になっておりました。

我々4人は本当に仲良く
本当の兄弟姉妹のように育ちましたが
成長するとミレーユは妹の侍女に
なりました。
マルクも滅多に、たとえば
父親の使い、などというとき以外には
ここには訪れなくなりました。

ある日、ミレーユが隙を願いでました。
遠く町でマルクと所帯を持つつもりだと
言いました。
ふたりは周囲が気づかないところで
愛を育てていたのでした。
わたしも妹も自分のことのように
喜び祝福しました。

しかし、マルクはひとりで
村を去りました。

若い者の心には
いろいろなことが起こるものです」

     霧の中 その4 につづく

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