とりどりの部屋

□始まりの日
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 「おまえに、ずっと・・・
黙っていたことがある。
今は、それを話す、良い機会だと思う。
聞いてくれるか?」


「先ほど、あなたを撃ち殺そうとした・・・
そして、わたしたちを助けて下さった
あの軍人さんに、関係があることなのね」


「ああ・・・そうだ・・・

おまえと結婚する前に
わたしは、あの男の妹と
結婚の約束を交わしていたのだ。

その娘は・・・
とても気立ての良い
そして、誰もが振り返らずには
いられないような、美しい娘だった。


わたしの家同様、貴族とは名ばかりの
貧しい家の娘で
わたしも次男であったから
ふたりの結婚には、何の障害もないように
思われた。
おまえとの縁談が起こるまでは・・・。


わたしの父は、わたしに向って、言った。



───息子よ
あのように美しく魅力的な娘を
手に入れたいと情熱を燃やすことは
若者として、当然のことだ。
そして、おまえは今
その娘の愛を手に入れて
世界を手に入れたような
誇らかな気持ちを
味わっているに違いない。


しかし、愛や情熱というものは
一時の感情なのだ。
一時の情熱だけで結びついた結婚は
その情熱が冷めたときには・・・
いったい、何が残っていると思うか!?


情熱が冷めたとき・・・

そこに、生活に疲れ、やつれ果てた
男と女が、ただ、立っている・・・
その事に気づいて、呆然とするのだ・・・。


よく、考えておくれ。
このような、平民の金貸しの娘との縁談は
おまえにとって、二度とはない
降って湧いたような幸運なのだ。

そして、この結婚は巧く行くだろう。
なぜなら、もともと愛や情熱といった
不確かなもので、結びついては
いないからだ。

あの金貸しは、自分の娘を
ただ、貴族の奥方に
据えたがっているだけなのだ。


我家のような貧乏貴族の!!
実に謙虚な申し出だろう!?


しかし、代わりに我々は金を手にする。
もう、体面すらも保てない、貧乏貴族どと
軽んじられることもなければ、蔑まれることも
なくなる。

おまえも・・・おまえの、あの娘を
どうしても忘れられぬと言うのなら
頃合を見計らって、妾にでも
据えてやればいい・・・。



父は、わたしに、そう、言った。


貧しくとも、実直で、思いやり深く
やさしかったあの父が・・
つつましく身の丈に合った人生を
送ってきた、と思っていた男が
言い放った言葉だとは
とても思えなかった・・・。


 しかし、なまじ貴族の末に
生まれたばかりに
かえって蔑みの目で見られ
屈辱と悲哀を味わいながら生きてきた
父の気持ちも、わたしには理解出来たのだ。


そして、わたしも、とうとう・・・
周囲の説得に負けて・・・・
娘を裏切ってしまった。

そして・・・
娘は、首を括って死んだ・・・・」



「・・・・そうでしたの・・・。

あなたは、いつも、なにか
苦痛を押し殺しているように
見える人だと・・・
思っておりましたの。
それは・・・
そのせいだったのね・・・」



「おまえと結婚してからは
わたしは、その苦い思いから逃れるように
また、金で買われてきた婿殿と
言われるのを嫌さに
がむしゃらに働いた。

恥を忍んで頭を下げ、阿り
上位貴族のサロンにも食い込んで行った。
そして、町の金貸しを、ほんの短い間に
名門貴族や王族を相手にする
ちょっとした銀行にまで
押し上げてやった。

それは、おまえの父上が
やり遂げられないかったことを
この貴族と言う身分のおかげで
いとも簡単にやり遂げた・・・という
フリをする為だったのさ。
わたしを金で買った、おまえたち親子を
嘲笑うためにな。

しかし、義父上は亡くなるまえに
わたしの手を握って、言った。



───わしの見込んだ男だけあった。
わしの目に狂いはなかった。
わしのような者の娘の元に
よく、来てくれた・・
ありがたい・・・
もう、何も思い残すことはない・・・



そう言って、涙を流した。

そう、言われたときに
わたしは、冷めた。

おまえの父上も、けして悪い人間では
なかった・・・」


「ええ・・・
父もけして、悪い人ではなかったの。
ただ、あなたのお父様と同じように
苦労を味わいつくして・・・
周りが見えなくなってしまって・・・
そして、不幸になった人だった。


・・・実は・・・
わたしにも・・・
一緒になる約束をしていた人がいたの。


幼なじみで・・・
腕の良い家具職人だった。
子供の頃から、わたしは、その人の
おかみさんになることを夢見ていた・・・。

しかし、父はお金を払って、その人を
遠ざけたのよ。

それは、きっと、貧しい家具職人にとって
降って湧いた幸運・・・と
思えるほどの、まとまったお金だったので
しょうね・・・。


父は貧しい百姓から
地面を這いずり回るような思いをして
成り上がったの。

わたしが小さい頃から
いつも、言っていたわ。


───おまえには
わたしが味わってきたような
屈辱を味あわせてたくはないのだ。
わしの金で買えるものならば
なんでも手に入れてやる。
わしがおまえに与えられる
精一杯の物を、買って与えてやる・・・。



でも、父にはどうしても、解らなかったのね。
わたしは、所詮、お金で諦めがつく娘。
莫大な持参金付きで望まれる娘。
その程度の娘なのだって・・・。

そして、その現実を見せ付けられるたびに
どんなにわたしが
傷ついて行ったか、ということを・・・」


「ふふ・・・我々は、お互いに・・・
実に、釣り合いが取れていた・・・と
いうことだったのだな・・・・」


「ええ・・・
そうだったのかもしれないわね・・・。

それでも、わたしはどうしても
父を憎めなかった・・・

あなたのことも。

貴族のあなたに
貧しいお百姓から成り上がった金貸しの娘が
愛されているなどとは
思ってはいなかったけれど
素っ気無くされていても
本当は、心の優しい人なのではないか
と思っていたの。
そういうことは
一緒に暮らしていると
自然に解ってくるものよ。


毎晩のようにあなたは

『許してくれ、許してくれ』

って、うなされていたわ。
とても、辛そうで、悲しそうだった。


でも、あなたに愛されているなどとは
思ってはいなかったから・・・
あなたが、苦しんでいるわけも
誰に向って許しを乞うているのかも
聞いても、きっと打ち明けてはくれない・・・
そう、思ってたの・・・・」



「・・・わたしを許してくれるか!!」


「何を許すの?

つい、さっき
わたしたちはお互いの命を救おうと
夢中で身を投げ出そうとしていたわ・・・。
答えはそれで、十分ではなくて!?

わたしたちは、今
本当の夫婦になった気がするわ。


いつの日にか、パリに戻ることが出来たら
ふたりで、その娘さんのお墓を
訪ねましょうね。

わたしたちは、もうこれ以上
不幸な人間を育ててはいけないのだわ。


わたしたちは
お父さんとお母さんになるのよ・・・!!」

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