アナタと共に

□序章
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【選択】





「なるほど、この子がお主が拾ってきたという子じゃな?」
「はい、ダンブルドア先生。ずいぶんと森の奥で迷子になっちょったのか、小せぇし冷てぇしで俺はどうしたもんかと…」
「よう知らせてくれたのハグリッド。この子がどうやってホグワーツの敷地に入ったのか聞かねばならぬが───」


腰ほどまでもある長い髭を撫でていた老人が、巨大な椅子で眠っていた女が焦点の合わない目で彼らを見つめていることに気づいてそっと近づくと、女の汚れて絡まった髪をすいてやり優しく微笑んだ。


「今はお休み、ここは安全じゃ。君を脅かすものは何一つない」


寝ぼけた様子の女は一つ瞬きをすると、再び椅子に沈んだ。











目を開けると、随分と高い天井とオレンジ色の光が見えた。自分がひどく柔らかい布団の上に寝ていることに深く息を吐き、次の瞬間跳ね起きる。

女は思い出せる最後の記憶を呼び起こしていた。水や食べられるのかよく分からない木の実でなんとか空腹をごまかしていたが、体が動かせなくなった、
それなのに、と女は心臓が嫌な音を立てているのを感じながら、力の入らない体で首をめぐらせる。すると、窓際で佇む人影があり思わず目を細めた。ずっと掛けていた眼鏡がなくなっていることもあるが、逆光になっていて相手の性別の判別もままならない。


『おお、お目覚めかの?』


高くも低くもない年老いた声というのが適切なのだろう。細長い影が近づくのを待って、女は現われた老人の姿に息を飲んだ。


『ふぅむ・・・どうやら東洋からのお客のようじゃ。どれ、言葉は分かるかの?』


目の前の男について、彼女は男が思っている以上のことを知っていたが、現状に驚きすぎてまともに考えることもできず、穏やかで聞き心地のいいクイーンズ・イングリッシュが聞こえてきても、女は体を固めたままだった。
言葉が通じないと判断したのか、急に男は呪文でも唱えるかのように様々な国の言語で話し始めた。その中でかろうじて日本語らしい言葉を聞き取ると、女はようやく口を開いた。


「ミスター.ダンブルドア、初めまして。私は日本人です」
「日本人!遠いところから来たな!わたしも少し友達がいる。言葉を学んでいて良かった」


少したどたどしい、一言一言確かめるようにつぶやかれた言葉たちは、故郷の言語であるというだけで女を安心させた。


「あなたはわたしを知っているな?あなたの名前が知りたい」


名前を問う老人に、パニックを起こしかけていた思考がピタリと止まった。森で気づいた違和感の正体。あったはずの場所から失われたそれは己の存在を明確にする記号。
ひどい耳鳴りの奥で何度も聞いた声がささやくのを無視して、女は偉大な魔法使いアルバス・ダンブルドアを見上げた。


「名前は、忘れてしまいました」


穏やかな表情で目を細めたダンブルドアは、笑っているようにも目の前の女を品定めしているようにも見えた。


「あなたの名前はシーナ・リベルタス。違うか?あなたを森で助けていた声はあなたをシーナ・リベルタスと呼んでいた」


この男、開心術を使った。

土足で心に踏み入られたことに少し苛立つが、女は深呼吸をしてなるべく冷静を保とうとした。時々森で聞こえた声や耳鳴りはどれも知らない女性の声で、「シーナ」と「リベルタス」という単語を繰り返していた。それを名前として考えたことがなかったが、言われてみればなるほど、あの声は自分を呼んでいたのだとすんなり理解できる気がした。


「じゃあ、それで」


自分の名ではないという確信と、考えてもそうとしか思えない響きに女は思考を手放した。


「ではシーナ、あなたが誰でどうしてホグワーツに来たのか聞かせてほしい」


自分たちが英語を喋るとき、英語を使う人もこんな気持ちで聞いていたのだろうかと表現しがたい感情を抱きながら、シーナはなるべく理解しやすい言葉を選ぶ。

シーナは少し考えてから真実のみを話すことにした。嘘をつくのは面倒だしどうせ開心術で見破られるのはわかりきったことだった。


「私は今よりも先の未来か、別の世界から来ました。電車で居眠りをしていて、起きたとき電車が止まっていたので急いで降りて・・・そうしたらもう、見たこともない森の中にいました」


シーナは自分の知っていることはなるべく話すようにした。シーナが暮らしていた世界に魔法はなく、魔法使いや魔女は架空の存在とされていること。様々な機械に囲まれて生活をしていることや自分が学生だったことなど、思いつく限りを話した。
ダンブルドアはそれを一度も遮らずに頷きながら聞いていた。ひとしきり話してしまうと、シーナは一呼吸置いて、彼女のこれからに大きく関わることを話し始めた。


「私の世界では、ある本がとても人気です。こども向けの本ですが大人も楽しめる、そんな世界中の人に好かれている本。題名は『ハリー・ポッター』。平凡でそこら辺にいるような男の子が魔法に触れて、成長していく物語。その中で、私はあなたを知った。あなた以外のことも、それなりに」


そう、あの本はハリーの目を通して書かれたたくさんの「ほんの一部」を集めた本だ。目の前の老人のことも知っているが、深くは知らない。そしてこの世界では、一部の人間が喉から手を出してでも欲しがるだろう予言の書。シーナは努めて本の内容が分からないように話した。
この場で話してしまっても良いものか分からなかったし、ダンブルドアがそれを望むかも分からなかったから。このブルーの瞳にどれほど見透かされたのだろうと思いながら、シーナは一つ咳払いをして話は終わりだと伝えた。もう喉がカラカラだった。


「とても信じられる話ではない」


ダンブルドアが節のついた杖を取り出すのを見て、シーナは身構える。しかし、シーナの身には何も起きず、ダンブルドアは指揮者のように杖を振っている。シーナの目の前に温かそうな紅茶が用意されると、シーナはぽかんと口を開けた。
彼女の様子に、ダンブルドアはおかしそうにクスクス笑って杖をしまった。


「だが、嘘だとも言えない。あなたは話していないことがあるし、きっとそれはわたしが聞かない方がいいことだ。あなたは賢い」


砂糖とミルクは?と聞かれ、シーナはそっと口を閉じた。なんて間抜けな顔をしてただろうと赤くなりながら、いると答えた。甘いミルクティーの誘惑は、シーナの警戒心や緊張をゆるく溶かしていった。クッキーもどうぞと出されれば、シーナはどうなってもいいやとカップを手に取った。温かい飲み物。森では絶対に、火やそれこそ魔法を使わなければ手に入らないぬくもりと喉を潤す甘みに一筋涙がこぼれたのは、森での生活に荒み命を諦めかけた心が少しほぐれた証のようだった。

嬉しそうに食べろ食べろと勧められるクッキーをかじると、普段食べ慣れたものとは異なりバターの風味が強い味の、しかし久しぶりのまともな食べ物に、とうとうシーナの涙腺が決壊した。ダンブルドアが立ち上がってそっとシーナの肩をさする。

落ち着く頃には、できれば味噌汁を飲みたいとか、今のシチュエーション昔映画で似たようなのを見た、確かあれはおむすびだったななんて考える余裕があった。気恥ずかしさを隠すためにふざける頭を叱咤する。


「すみません、まともな食べ物が久しぶりで」


ダンブルドアはレース編みのハンカチをシーナに差し出し、彼女の肩を軽くたたいて椅子に戻った。


「落ち着いて良かった。決めないといけないことがある」


トリップもののセオリーだな、なんて思いながら、シーナは偉大な魔法使いの言葉を待つ。


「念のためあなたの身分を確かめるが、未来や別の世界から来たのなら新しい身分がいる。まずは年齢を聞かせてほしい」


シーナは、年齢や生まれ年、誕生日まで思い出せるのに、本当の名を思い出せないことを不思議に思った。シーナ・リベルタスなんて名前、生まれも育ちも日本といった生粋の日本人である自分が、なぜ。


「20歳です。来年の3月には21になる予定です。ですが・・・まあ、この時代では関係ないかと。ミスター、今一体何年ですか」

「1991年、8月6日だ。9月には『ハリー・ポッター』が入学してくる。なぜ?」

分かっていたことではあった。彼が生きている時点で自分の生きていた時代ではないことくらい分かっていたが、数字を示されると途方もないところに来てしまったという思いが強まる。


「私の生まれは1998年です」

「なるほど、では新しく身分の証明ができるものを用意する。あなたはこれからどうしたい?」


何を言ったところでダンブルドアはシーナのことを調べるのだろうなだったり、さらっと他人の身分を確かにできるダンブルドアが怖いなと思っていたが、彼から思わぬ質問を受け、シーナはきょとんとした。
年齢や姿を偽ってホグワーツ生にするとか、ダンブルドアと養子縁組を組むとか、そういう『王道』を予想していただけに、むしろどんな選択肢があるのかと首をかしげた。


「例えば、今までのようにマグルとして生きられる。あなたは魔法を使う力があるから、学校に入学できる。なんでもいい、どうしたい?」


シーナの首元を、一筋の冷や汗が走り抜ける。


「もし私がマグルとして生きたいと言えば、どうなるんですか?」

「記憶をもらう。日本ならヴォルデモートの手も薄い。他にもいくつか魔法を使う」


忠誠の術でも掛けられるのだろうか。忘却術は高度な魔法使いなら破ることができるはずだとシーナは頬を引きつらせた。
自分の住み慣れた国で生きられるのは良いが、そこは自分が生まれるより前の国だし、成人としてなんの力もない自分が生活をしていくなんて、とても想像できない。シーナが未来を知っていることは今のところダンブルドアと部屋に飾られている肖像画しか知らないから、狙われる可能性は低いとしても、だ。魔力の素養があるなら、制御を学ばないことには魔法省に目をつけられる可能性がある。


シーナはダンブルドアへの恐れや嫌悪感を思いだした。彼は限りなく善人に近いが、決して善人ではない。どこまでも策略家で、必要とあらば簡単に人を利用し、見捨てることもある。自分の死さえも利用してしまえるこの老人は、人の行動や心を自然な形で縛り、操ることに長けている。

シーナにとってダンブルドアはヴォルデモートよりもよっぽど恐ろしい人物だった。
彼は待っている。
シーナという“武器”が自らこの世界に飛び込んでくることを。

やっとの思いでダンブルドアから目をそらすと、シーナは紅茶を飲み深呼吸をした。手汗がびっしょりで不快だった。耳の奥でまた何かに名前を呼ばれた気がした。


「許されるなら、ホグワーツで学びたいです」

「よかった!そう言ってほしいと思っていた!」


途端にウキウキした様子のダンブルドアは、引き出しからコロンとした赤い石がついたピアス、黒いレザーにピアスと同じ色の石があしらわれたゴツいチョーカー、それから彼女の赤フレームの眼鏡を取り出した。
それらを杖でつっつきながら何やらブツブツやっていたかと思うと、さあできた!とばかりに期待のこもった目でそれらを差し出してくる。

ピアス穴開けてないんだけどな、と思いながらそれらを受け取る。ブルーライトカットのためレンズに少し色がついた眼鏡を掛けたが、何の変化もない。
これは王道かしら?そんなことを思いながらずしりと重いチョーカーをつけ、ピアスを手に取る。マグネットピアスと同じ形状のそれをつける。赤い石が使われているのはダンブルドアがグリフィンドール出身だろうかと思いながら向き直ると、彼は手をたたいて喜んだ。


「ブラボー!眼鏡が赤色だったのでな、そろえてみたのじゃ」


シーナが流暢な日本語に驚くと、ダンブルドアは楽しそうに頷く。


「詳しい話をするならこの方がいいじゃろう」


口の動きに対して声が遅れて聞こえてくる状態に、思っていた何倍も違和感を感じた。やはり文字で読むのと実際に体験するのでは全然違うんだと意外に思う。


「君の見目ならば1年生からでもそれほど問題にはならぬと思うがどうかの?」

「はい、できれば1年生から入学したいです」

「決まりじゃな!では当分の住居じゃが・・・」


どこまでもこの人のペースだなとシーナは苦笑いした。流れに身を任せてしまいたい気持ちを抑え込む。シーナはこの世界で生きる上で、どうしても彼の協力が必要だった。










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