軌跡

□人間、不失格
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人間、失格






ただ──



ただ、一さいは過ぎていきます




         (人間失格:太宰治)
















花宮 真

彼が私の眼中に入ったのは高一の春、入学式

成績トップの生徒による挨拶が彼だった

頭がいいやつなんてただのガリ勉に決まってる

そんな私の常識を、彼は一瞬で覆した

爽やかな笑顔で、はつらつとした抱負を、語る




嗚呼、こいつはただの弱虫だ

ただの弱虫で


弱虫の──天才だ















同じクラスだと気づいたのは高一の夏

バスケ部が珍しくIH予選の準々決勝まで残ったそうで、全校集会で起立させられて、在り来たりな乾いた拍手を受けているところで彼の姿を見つけた

なんでもバスケ部らしい

こういう類いの人間に、スポーツなんて。しかもバスケットボールなんていう、友情とか、努力とか、そして勝利とか──曰く青春の三原則を満遍なく育めるような、日陰の人間には、何とも不似合いな


鮮やかな嘲笑を浮かべ、同じく乾いた拍手を贈ったのを、私にしては珍しく覚えている


やっと周りの環境を理解して、クラスの重役についているやつ─たとえばクラス委員とか事務局とか─らへんを覚えた辺りの私に、その存在は急に、顕著に映った

















そして今現在


「俺の顔に、何かついてますか?」


彼に初めて話しかけられた、高一の秋


「…いきなり、どうしたのかしら?」


「そんなにいきなり、でしたっけ」


「あなたに話しかけられたのは、これが生まれて初めてなのだけれど」


「それにしては随分、僕の方を見ているようだったので」


「あら、自意識過剰が過ぎててよ」


そんなに見ていただろうか

反省して刺々しい言葉を返す


「手厳しいなあ…ひょっとして僕、嫌われてます?」


「まだ話したことのない人に、好き嫌いもないわ」


「そうですか、それはよかった」


「ええ、嫌われないように頑張って頂戴な」


にっこりと、いつもより三割増しの綺麗な作り笑いを浮かべてやると、彼は目を丸くしたあと、同じ作り笑いを浮かべた


「最善を尽くします──と言いたいところなんですけど、スミマセン。部室に備品を取りに行きたいので、一緒に来ていただけませんか?」


「あら、荷物運びに女子を使うなんて、随分な人。──でも、いいわ。行きましょう」


心のなかだけで、私も彼も──

嘲笑を浮かべているのに、私達だけが気づいていた











「ここね……初めて来たわ」


「それはまあ、男子バスケの部室なので。ああ、汚いと思いますけどすみませんね」


花宮が部室のドアを開ける
どうぞ、と促すから、私は中に入った


汚い、と言うわりには小綺麗に整頓されている……ところと、そうでないところがある
恐らく小綺麗なところが花宮の使うスペースなのだろう


「さ、花宮くん。運ぶものはどれ──」


振り返った瞬間、強く後ろに押されてどん、と崩音が鳴る

背中をしたたか打った
痛い


部屋にある裸電球の唯一の灯りの逆光で影になって犯人の顔など見えないが、見なくてもわかる
私を押したのは花宮の腕だ
花宮は両腕を私の横顔のすぐそばに置き、固定している


「……………」


なにも言わずに私はじっとその目を見た
焦げ茶がかった黒の瞳は物言わず、ただ無表情な私を逆さまに映した


「何も、言わないんだ」


「………何か、言ってほしくて?」


あくまで冷静を保ち、目を逸らさずに言う、と花宮が鼻で笑う


「ふはっ、別に。もうお嬢ぶりは止めるのかなと思っただけだよ」


本性見たり──


嘲笑を堪えようとして……嗚呼、無理なよう

とびきりの嘲笑を花宮にぶつける


「別に……相手があなたでは、意味がないもの」


「正解っちゃ正解。ってかお互い当たり前みたいにしてるけど、完璧お互いバレてんじゃん」


「そのようね」


さすがにどちらとも周囲を騙し、それが同類にだけバレているという図は……なんとも滑稽だ


「…ま、退屈しないで済みそうだから、いいけど」


「あなたとこれからクラスメート以外の関係として接する、なんていうのは今の私に存在しないのだけれどね」


物言いに思わず口が滑る

花宮は意外そうに──顔を歪めて笑った


「へぇ。それじゃなんで、こうなるように挑発してきたんだよ」


「別に。ただの気まぐれよ」


本当に、ただの気まぐれだ

というか、仕掛けてきたのはあんただろうが

断らなかった私も私だが


「ふーん。だけど、いいの?こんなんでも俺、男なんだけど」


そういえば今、ビジュアルだけ見ると私が花宮に押し倒されている状態

花宮が言い終わると不適に笑ってその顔を近づける


「そういうのに興味があるようには、見えないわ。寧ろ蔑していそう」


返答に花宮の動きがビタリと止まり、

「正解」

と舌を出してみせた


「なぜわかったか、教えてあげましょうか?」


顔を遠ざけることをしない花宮をうざったくした私がその肩を押し返す


「『自分も同じだから』だろ」


その手を掴んで、花宮が答える
私はさっきの花宮同様、

「正解」

と舌を出してみせた


「ふはっ、だろうな。お前も俺も同じだろ。ただの弱者」


私は不意に目を開いた

存外だ
まさか花宮が自分を蔑む発言をするとは


「お前今、失礼なこと考えてんだろ」


「さあ、どうかしら」


飄々と逃げると、


「どうせ俺が自分を卑下したのに驚いたんだろ」


「正解」


自分が間違っている、と思っているとは思わなかった
それほどまでに花宮には清々しさがあった

そしてこの問答に持っていかれる

本当に私たちは似た者同士だ



そう、私たちはいつだって

疑い深く、小心者

他人を道化と愛想で巧みに騙し、それが知れるのを恐れる

傲慢で、エゴイスト

自分勝手でわがままで、場が悪ければ誤魔化し、力にものを言わせて相手を捩じ伏せる

サディストで、ニヒリスト

臆病者で、加えて卑屈



人間、失格?


でも、違う

私たちは



嘘は、つかない


否、つけない

嘘をつくことすら恐れる小心者

嘘で壊れる何かを恐れる臆病者


それは私たちが、弱虫の天才だからだ





私は嘘をつかない

口先三寸で逃げることもある、誤魔化すこともある

だけど、嘘は言わない

それを知っての花宮の誘導尋問に私は苦笑した



「本当に、似た者同士ね」


「少なからず。認めてやるよ」


また笑う花宮を見ながら、彼の手が私の腕を掴んでいたことを思い出す


「………いいから、その手を離してくれない?」


「どうだろうな」


「離したくないの?」


「顔と地位と名誉狙いのバカ女に集られるよりは、マシだと思ってるだけだ」


「そんな関係、御免よ」



花宮の手を乱暴に振りほどいて、彼を睨んだ




あなたの意見には同意するわ

だからって今だけは、はぐらかされるのは割りに合わないの




だって私たち、




「私を好きと言ってくれなきゃ、私はあなたとは関わらない」




とっくの昔に、互いに牽かれあってた




多分私は、入学式のあの日から






「ホントに、意思疏通が過ぎんだろ」


花宮が静かに──ふっと笑った
外面の笑顔ともここで見せた嘲笑とも違う、綻びのような笑顔に、私は一瞬のことで目を奪われた


「好きだ」


さっき強引に振りほどいた手を再び掴まれ、今度は上に引かれる

上半身の体勢が立ち直ったところで、唇に唇が触れた


「奇遇ね。私もよ」


一度離された口でそれだけ言って、閉じていた目を開ける
あくまで飄々とした返事に花宮がいつも通り嘲笑して、私は鼻高々に笑みが漏れた









私たちは人間、失格よりも酷い

人間、不失格

別名弱虫の天才


だけど、

ただ、一さいは過ぎていきます


だからその過ぎていく一さいは、このままであってほしい

そう思い、近づく影を察して私はもう一度目を閉じた













(で、ひとつ言うと授業絶対始まってる)(真面目で通してたのになあ)(白々しいことを…。なに、今日くらいはサボりましょうか)(………お前─意外に不真面目なことさらっと言うよな)

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