フェイク・スタート

□本編
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 4月下旬にしては妙に暑い。それは気温のせいなのか、はたまた 新入社員や部署異動で人が増えたせいなのか。
…というか、そんなの考えるのさえ面倒くさい。

南区役所 市民課。主に市民の住所の登録や異動を行う部署だ。
(まあ他にも付随業務で色々な雑務もまるが)
引っ越しの関係などで、移動が重なり この時期は「鬼の繁忙期」と言われている。
ただでさえ 忙しのにも関わらず、俺の回りには 通年、頭が花畑な人たちで溢れていた。

繁忙期中、めちゃくちゃ貴重な昼休み。休憩時間も短縮になるため、どれだけ 昼飯を早食い出来るかが勝負なのだ。それなのに……。

安田(やすだ)さん。お食事中 すいません」

普段見ない 女性職員、きっと市民課以外の他部署の社員だ。

「あーと…。お疲れ様です。すいません、どちら様ですか?」

一応 持っていた箸を止め、女性職員に聞き返す。本当は 飯をかき込みながら話を右から左に流したい…。

「保険年金課の、桜井と申します」
「どうも。というか、何で俺の名前」
「安田さんは 南区役所でもモテますし。仕事も出来るので有名人ですよ」
「あ、そうですか」

右から左。右から左。

「それで、桜井さん? 俺に何の用です?」

桜井は、その言葉に頬を赤らめ、強張った表情になった。
そして、もごもごと、小さな涙声で 呟いた。

「えと…玉砕覚悟で来ました、私なんかが。安田さんと釣り合うはずないって、分かってるんですけど……私、安田さんが好きです」

…何度目だろう……。

自己紹介が遅れたが、俺は安田(やすだ) 真人(まさと)
新卒で南区役所へ配属してから、6年近く経つが、女性職員や、窓口へ来る市民からの告白が 後を絶えない。

特に顔がイケメンとかいう部類ではないと思う。目鼻立ちはハッキリしているがそれ以外取り柄はない。
大学までずっと 野球をしていた名残で、髪は今でも黒髪短髪だ。オシャレでも何でもない体育会系。

最初は立て続けの告白に 浮かれていたが、最近は この時間が鬱陶しくて仕方がない。
しかも繁忙期の貴重な昼休み中だぞ。飯を食わせろ飯を。

俺は いつものテンプレートを使った。

「お気持ちありがとうございます。でも 俺、今、仕事がすげえ 楽しくて。恋愛までは考えられないんです、本当すいません」

ちょっと眉を八の字にし、プラスさらに営業スマイルだ。
これで、これ以上 ぐいぐいくる女性はほぼいない。

「そ、そうですよね。安田さん、主任ですもんね…。お仕事大変なのに、恋愛に かまけてられませんね」
「まあ、…はい」
「貴重な昼休みのお時間、ありがとうございました、お仕事頑張ってくださいね」
「ええ、桜井さんも」

そう言って 桜井が去った後ろ姿を確認したあと、腕時計に目を向ける。

「はあ…」

昼休み、あと5分で終わっちまうよ、くそが。



□□□



今日も定時で帰れそうにはなかった。窓口は 5時で閉めたのだが、内務や雑務処理が定時内では追い付かず、残業確定。

昼休みに十分飯を食えなかったせいで、もう腹と背中がくっつきそうだった。

「安田主任、お疲れ様でした」

2人ずつローテーションで残業をするため、定時上がりの職員たちは、足早に帰って行く。

「皆お疲れ様。…あれ、今日 俺と残業のやつって」

きょろきょろと、辺りを見渡すと ふいに、デスクの上に 湯気の立ったコーヒーと、メロンパンが置かれていた。

「お疲れ様です、安田主任」
美倉(みくら)。お前 今日 残業の日か」
「はい。昼休み中々飯食えなくて、コンビニに行って買ってきちゃいました、主任も 腹減ってるかなと思って買ってきたんですけど…迷惑でしたか?」

迷惑なもんか。俺は早速 メロンパンのビニールを切り、大口でかぶりついた。

「ありがてえよ。俺も昼飯食えなくて。悪いな 美倉」
「いえいえ。残りの仕事も頑張りましょ」


美倉(みくら) レイジは俺の3つ下の25歳。
サラサラの髪に、優しい雰囲気で長身。スタイル抜群で笑顔が眩しいと来た。
美倉が昼飯を食えなかった理由はもしかすると 俺と同じなのかもしれない。

コーヒーとメロンパンを食べながら 内務と雑務をこなして行く。
すると ふいに、美倉が、

「そういえば。今日も、女性職員から告白されてました?」
「げ、見てたのかよ〜」

告白を断るテンプレートを聞かれていたら恥ずかしかったのだ。

「たまたま 休憩室に通りかかったら、聞こえてきただけです。プライベートな事ですし、全部は聞いてないですよ」
「そっか」
「それにしても本当に。安田主任てモテますよね」
「モテたくてモテてる訳じゃねえよ」
「うわ、嫌み」
「ちげえよ」

2人で笑いながら、雑務を進める。

美倉が買ってきてくれた、俺のメロンパンは 早々と 俺の胃袋に消えていった。(コーヒーも)
ふと、美倉が、自分の分として買ってきたメロンパンとコーヒーに全く手を付けていない事に気づく。

「おい、美倉。お前、昼飯食べてねえんだろ。腹減ってんだから、ちゃんと食えよ。その為に買ってきたんじゃねえのか」

俺の言葉に 美倉は 少しの間固まった。
雑務はまだ終わらない。静まり返った2人だけの市民課に、時計の秒針だけが響いている。

「…」
「美倉、どした。具合悪いなら、先に帰ってもいいぞ」

美倉の顔を除き混むと、なにやら神妙な面持ちだった。

「飯…。食べる時間 なかった訳じゃないんです。喉、通らなくて」
「なんだよ。大丈夫か?」

隣に座った 美倉が俺の方を向き直り、真剣な目で。しかし、どこか困ったような表情で 小さく口を開いた。

「…恋。しちゃってて」

俯いた美倉は 若いながらも色気を感じた。

「まじかよ! 飯が喉通らない位 好きな相手って。どんだけ好きなんだよお前〜!」

茶化すように言うと、美倉は俺の目をしっかり見て言った。

「飯が喉通らない程…好きなんです。安田主任の事…」
「…は?」

今なんつった? 俺の聞き間違いか?
今まで散々女性に告白された事はあったが、男からは初めてだった。
しかも かなり本気っぽい。美倉、ゲイ…?だったのか…。

しん、と静かな市民課に、美倉の細い声が響く。

「困らせるって分かってて…言ってます…」
「あ。ああ、正直驚いたっつうか…」
「ですよね」

女性向けに考えてある、告白を断る用テンプレートは使えない、どうする…。
俺は頭をフル回転させ、言葉を繋げた。

「美倉、悪りぃ。俺。女性からの告白ずっと断ってるけど…。あのさ…。男が好きって訳じゃねえんだわ」

言葉を繋げ。

「だから、お前の気持ちには…答えられない…」
「…わかり、ました」

美倉の目は赤くなり、今にもこぼれ落ちそうな 涙がそこにあった。
今まで、告白してきた女性に、断った際、こんなに落ち込んだ人はいただろうか。
少なくとも 美倉の気持ちは本物だと伝わった。

潤んだ目を手で ハタハタと仰ぎ乾かし、少し落ち着いた所で美倉は言った。

「安田主任」
「なんだ?」

何を言われる? 少し身構えた。

「提案なんですけど、俺を"女避け"の道具に使いませんか?」
「女避け?」
「はい」

少し食欲が沸いたのか、美倉は冷えきったコーヒーと、メロンパンを口にし始めた。

「女性に告白されまくって困ってますよね、安田主任」
「まあ…」
「安田主任が ゲイだって事にすれば、女性からの告白は一気に無くなるはずです」
「はあ!?…お、俺がゲイ!?」

訳の分からない提案に困惑する俺。
美倉は続ける。

「あくまでも、偽装です。フェイクですよ、フェイク」
「…でも、周りがゲイって知ったら…。次はゲイが俺に告白をしてくる可能性だって…」
「だから、俺を使ってください」

美倉の言葉に首を傾げると、

「俺が、安田主任の彼氏って事で」

先ほどの涙はどこに消えたのか。美倉の爽やかな笑顔が、俺の目の前には あった。訳の分からない状況と共に。
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