A guilty

□夢の音
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 窓からこぼれる柔らかい光が、手元の書をゆらゆらと揺らしている。
キルシッカ。いや、いつの間にか「サクラ」が散り、あれだけ憂うつでジリジリとした暑い夏がもう過ぎようよしている。
開けていた窓から入ってくる風が、まだ少し先の秋の匂いを運んできた。
するとほどなくして、書斎のドアをノックする音が聞こえる。

「アラン様、失礼致します」
「…入れ」

そう短く答えると、サカキがティーとスコーンを運んできた。少しエキゾチックなティーの香り。
恐らく、フォートナム・アンド・メイソンのブレンドティーだ。

「フォートメイソンか」
「おっしゃる通りでございます。この間、ご主人様がイギリスへご出張なさった際の品です」
「オレンジの香りがとてもいい」

書から手を離し、ティータイムにしていると、サカキがふと俺が読んでいた本を手に取った。
よほど意外だったのだろう、サカキは細い目を丸くしている。

「アラン様、これをお読みに?」

何故なら、俺が書斎で読んでいた本は、翻訳されていない日本語で書かれた書物だったのだから。

「坂口安吾の、堕落論、ですか」
「サカグチアンゴ? ダラクロン? そう読むのか」
「…アラン様、なぜこの書を…。翻訳された本ならいくらでもありますのに」

日本語を読めないことくらい、サカキは知っている。最近覚えた日本語は「サクラ」くらいなのだから。
俺は、ティーカップを置き、窓の外を見た。そうして見たことも行ったこともない「日本」という国を想像する。
サカキが生まれた国、サカキの住んでいた場所、サカキが話す言語、すべてじゃなくていい、多くは望まない。でも、サカキという男の一部分を、俺の中に取り入れてみたいのだ。そう思ううちに、一つの答えが出始めている。

「…気付いていると思うが、俺は父のような医者を志してはいない」

口にした言葉にサカキは声を出さなかった。

「お前に出会ってから、夢ができた」
「なんでしょう」
「俺は、お前と日本へ行きたい。観光とかじゃなく」
「…だから日本語の勉強を?」

頷くと、サカキは少し考えたあと、曇った表情で口を開いた。

「気持ちは、嬉しいです。私もアラン様のお傍に居たい、そういつも願っております」
「なら…」
「しかし、私は喜んでも、ご主人様は……悲しみます。アラン様がお医者を お志ではないなどと知ったらきっと。…今後のコルホネン家のためにも…。もし、私の存在のせいでそのようなお考えをなさるなら」

サカキが言い終わる前に、俺は咄嗟に、言葉を遮った。

「“せい”なんかじゃない」
「…」
「誰かと一緒にいたいと、初めて思った」
「アラン様…」
「俺の自由を、お前の“せい”なんかで片づけるな」
「…申し訳ございません」

サカキは眉をひそめ、頭を深々と下げる。


夢に音があるなら、もうすぐ近くだ。
あまりよくない音だが、今は聞こえないふりをした。


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