PLAYS

□《母性本能》
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*

 フランスからの連絡は今のところない。そう告げると、あからさまな安堵のため息が返ってきた。
「結城くん、やっぱり心配だったりする?」
「うん」
 日本酒の入門から、本格的な経営マニュアルまである積まれた本の束の中から手持ちぶさたに一冊抜き取った結城は、ぱらぱらと黒いマニキュアの指先でそのページを繰った。一度二度と繰り返すうちに、やがて紙に少しずつ癖が付いてきたが、彼は気にも止めなかった。
「この間僕が消えたときまで、沢木とあんなに長い間離れたことはなかったんだよ。そしたら今度は沢木が遠くへ行っちゃうし、さ」
 だから、心配。
 ふぅん、と及川は唸った。自分でもやけに白々しい返事だとは思ったが、それ以外に反応のしようもなかった。
 沢木が何か秘密を隠していることは分かる。あそこまで分かりやすく話題を逸らされては気付かないほうがおかしいくらいのものだと思う。
 しかしこの結城蛍という自分と同い年の男は、及川にとってはそれこそ謎そのものだった。こんな姿が目眩ましだとも思えない程、分からないことが多すぎる。
「でも、沢木くんなら大丈夫だよっ。遥さんはもうそろそろ見つかった頃だと思うよ?ほら、美里さんと川浜さんがついてるし」
「そうだね」
「それより、結城くんもほら、授業に出たほうがいいよ。お酒のこととかやってる授業もあるし、このままだと留年になっちゃうでしょ?」
「そうだね」
「樹教授だって結城くんの顔が見たいんじゃないのかなぁ。そりゃあ今発酵蔵には私と武藤さんくらいしかいないけどさ、ふたりでお酒とか飲んだりしてて結構楽しいし、だから」
 だからどうしたっていうんだろう?
 いつも以上に饒舌な自分に苛つきながらも、及川はそれでも話さずにはいられなかった。
 結城が、どこかで見たような妙な顔をしているから。彼の気持ちが読み取れなくて、及川の中の苛つきが少しずつ膨らんでゆく。元々他人の感情の動向に敏感なほうでもないが、どこかで一度出会った表情を思い出せないのは、それはそれで気持ち悪いものだった。
「……私、もう行かなくちゃ」
 自分の違和感を、誤魔化すようにそう呟いた。結城に向けての言葉ではなかった。が、耳聡い彼は先程と同様に顔を上げ、清潔な笑顔を浮かべて口を開く。
「あ、」
 結城が何か言葉を発する前に及川ははっとしてまじまじと、ゴスロリ娘が結城蛍だと知ってからはじめて結城の姿をしっかりと視界に収めた。
 それは彼女に母親を思わせた。自分が上京して一人暮らしを始めると宣言したときの母親の顔を彷彿とさせる表情を同い年の男が浮かべていることが信じられなくて瞬きを繰り返す。
「結城くん」
「何」
「……頑張ってね」
 やはり笑顔を浮かべたままで結城が頷く。単車を始動させながら、及川は唐突に、フランスの沢木に結城を見せてやりたいと思った。



***

なんか及川の話になった……。
霜月は些かKY気味の及川が好きです。年頃の女の子はあれくらいの無鉄砲さで丁度いいと思う。
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