PLAYS

□《セオリー》
2ページ/2ページ




「葉月ちゃん何考えてる」
 と武藤が言った。
「……別に、何も」
「あのね、私その言葉が嫌いなの」
 ため息を吐いて言われ、及川は意外な思いをした。むしろ長谷川遥のものに近い考え方だと思った。だが直ぐに自分の思い違いだと気が付く。嫌い、という割に武藤の頬はおかしそうに歪んでいた。
「何も考えていないのなら、私のことを考えて欲しいな」
「――武藤さんは、何が嫌いですか」
「嫌いなもの?それはあんまないなぁ」
 今度は予想通りの言葉が返ってくる。気付かれるようにわざと音に出してくすくす笑ってみた。武藤もくすくす笑っている。そうしながら、何気ない風を装って右手の指を及川の左手に絡ませてくる。
 及川は発酵蔵で過ごしたあの一夜を忘れてはいない。忘れていないので、こんな風に少し突っ込んだスキンシップが出来た。
(ミス農大、か)
 武藤はまだ無邪気にえへえへ笑っている。
「葉月ちゃーん、なんでこっち見てるの?」
 初恋の人を思い出す。ついでに好みの男の顔も浮かべてみる。無論、武藤とは似ても似つかない。
 でも、不思議と許容出来そうな気がした。結城の話に自分を棚に上げて騒いでしまった及川だったが、よくよく考えれば自分のほうが余程おかしい。年上の女と一夜を過ごした上で、まだその相手にどこかこだわっている。
「葉月ちゃんってば」
 酷く甘く聞こえる彼女の声。長谷川とはまた違った意味で美人過ぎて近寄り難く見えるときもあるが、今は――殆どいつもアルコールのせいで頬が無邪気に緩み、目元は赤く染まっていた。
「私が武藤さんを見てるのは、武藤さんのことが嫌い」
 武藤が息を呑む。
「の反対の反対の反対の反対の反対の反対の反対だからです」
 暫く目をしばたたかせたのち、彼女は自分とは反対側を向いて指折り数えはじめた。酔っているせいもあるだろうが、こんなときのセオリーが分からないものらしい。だから及川はじっと、彼女が振り返るのを待っていた。ふたつ上の先輩の後ろ姿はひたすらに可愛らしく、いじらしいものだった。



***

数えながら書いた阿呆は私です。
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ