花霞の向こうに

□15日争奪戦、勃発。
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一月十四日。
幸鷹にとっては何の変哲もない日である筈の今日の昼頃、彼は何故か元対の翡翠と対峙していた。



「…人の都合というものを考えたことがありますか?翡翠」

「ん?勿論あるとも。たまたま今回考えなかっただけでね」



幸鷹の皮肉たっぷりな言葉に怯む様子もなくいつも通りの軽口で切り返す。

幸鷹は嘆息した。
頭も抱えた。

累計約三年程の付き合いだ。数えきれない程繰り返したその行為は最早クセになりつつある。



「なら今朝言った筈の私の都合を今聞け。そしてその言った筈の言葉すら残せない空っぽな頭の中に叩き込め。私は明日仕事があります、よってお前に付き合う余裕はありません」



この男には始めから説明をして問わなければかわされてしまう。
毎回毎回腹立たしい男だ。

幸鷹は少し口調を厳しくしつつ、白銀の刃の向こうに構える翡翠を睨んだ。



「じゃあ私の都合も聞いておくれ」

「…言ってみなさい」

「私は君を愛してる。だから傍にいたい」



へら、と笑う翡翠を、一瞬本気でたたっ斬ってやりたくなる。



「……それはただの『我が儘』って言うんです、この大馬鹿者ーッ!!!」

















時は少し遡る。



「……寒い…」



幸鷹は朝の肌寒さに軽く身震いし、羽織っていた袿を首元まで手繰り寄せた。
うっすらと瞼を持ち上げれば、空はまだ紫。部下か女房が起こしに来るまでにはまだ時があるようだった。



「…温めてあげようか?幸鷹」

「いりません。当然のように私の寝所に忍び込んでくるな」



さら、と優しく頭を撫でる手の主はその手と同じ優しい声で幸鷹を気遣った。

言葉と共に掛けられた袿は有りがたく使わせてもらうが、幸鷹は申し出を一刀両断した。



「おやおや、折角伊予から帰って来たというのに。少しは優しくしてくれてもいいじゃないか」



相変わらず手厳しいね。と翡翠は何故か嬉しそうに笑った。
手が払われなかったので彼は変わらず幸鷹の頭を撫で続けている。

流石に旧知の中とはいえ来客の前で眠るわけにはいかない。
更にこの男の前だと別の意味でも眠っていられないので、幸鷹は気だるい体を無理矢理起こした。



「…それもそうですね。で、何か用事でもあったのですか?」

「明日ね」



何かのついでに寄ったのか、と尋ねれば妙な答えが返ってきた。



「明日?」



彼が言うには何かのついでではなく、どうやら明日の用事のためにここに訪れたらしい。
では何故今日ここにいるのか。幸鷹は翡翠の言葉を繰り返し問いかけた。



「実は、明日一日君を拝借したくてね。私の可愛い人はいつも忙しいようだから当日では悪いかと思って」



にこ、と数年前に比べ大分柔らかくなった微笑みは彼の成長なのか、はたまた上辺だけの変化なのか。

どちらにせよ、自分に対しての態度を改めるようになったのは喜ばしい限りだ。

───…しかし。



「…あー…。えっと、その」



幸鷹は明日の予定を振り返り歯切れの悪い曖昧な反応をした。
目線はあちらこちらと漂い定まらず、口元には苦笑が滲み、首が傾く。



「明日は、その…仕事が」



朝議(朝廷の会議)が入っている。公卿である中納言の幸鷹は、当然それに出席しなければならない。

今年一年の政事や法案の方向を定める大事な会議。
仕事の鬼の名をもつ幸鷹がそれを欠席したいと思うわけがない。
実は提案したい法案もある。



「だから…すみません…明後日なら何とか空けられますけど」



幸鷹は遠回しに申し出を断る。
しかしわざわざ伊予から自分に会いに来た翡翠を無下にも出来ず、彼は申し訳なさそうに穴埋めの日を提案する。



「残念ながら明後日には帰らなくてはならないのでね」



商船との取引があるそうで、翡翠は残念そうに困った顔をした。



「…そうですか……」



やや乱れた夜着を整え、幸鷹は翡翠が先程掛けてくれた袿を羽織って隣の部屋の机をちらと見る。

辺りには書類の山。机の上は所狭しと様々な関連書物が占拠している。

新年は仕事が多い。昨日も書や文の書きすぎで筆を二本駄目にしたばかりだ。

当然今日も同量の仕事をする予定だった。が。



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