白虎の戯れ
□君が消えた世界はモノクロ
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君のいない世界
私は何をするにも君を探して
やっと自分のしたことに気付く
君がいない
その意味を漸く思い知る
不機嫌な君の聖書の一節が
十字架の火傷の痛みが
今ではとても恋しくて───…
君が消えた世界は
モノクロ
静かな暗闇に人影が二つ。
一回り程小さい方の影は逃げるようにせわしなく逃げ回っている。
もう一方の大きな影はゆっくりと小さな影を追い詰め、優しく腕の中へと誘った。
「や、いやっ…!」
小さな影の主が、首を振って拒絶する。
「…君も私から逃げてしまうのかい?」
大きな影は哀しげに呟いた。
けれども彼は、小さな影を離そうとはしない。
「ねぇ、…私が……怖い?」
「ひ…っ!!」
耳元で優しく問い掛ける大きな影──もとい、孤独な吸血鬼。
腕の中の小さな影は、ただ怯えて震えている。
(あぁ、泣かせてしまった)
怖いのだね。無理もない。と優しい声音のまま囁けば、恐怖に染まった身体は固まり、強張った顔はゆっくりと頷いて肯定の意を示した。
こちらの質問に答えなければ殺されるとでも思っているのだろうか。
かたかたと震える身体を抱きしめて、吸血鬼は苦笑いした。
「そう…」
寂しいような、苦しみも含んだ呟きが漏れ、吸血鬼は影の主の唇を奪った。
「ん…、ふ…はぁっ…」
口付けて舌を絡める…何度も。
優しく、傷付けないように。
暫くして離した唇は銀色の糸で繋がれている内に言葉を紡いだ。
「怖がることはない。痛みも大したものではないし、このキスみたいにすぐ終わるよ」
相手の唇を濡らすどちらの唾液ともつかないものを人差し指で軽く拭ってやり、吸血鬼は出来る限り優しく笑った。
「こ、殺さないで…」
それでも相手…人間は怯えたまま。
瞳に涙を溜め、同じ言葉を何度も声が掠れるまで続けた。
生にしがみつく為に、ただひたすら命乞いを続けた。
「───やはり『君』とは、違うか…」
誰も私と共に生きてなどくれない。『君』以外は。
あの凛とした姿。
あの強い眼差し。
あの温かな声。
あの優しい両手。
私の愛しい神父殿。
目の前の『これ』は、『君』ではない。
「え…?」
すい、と吸血鬼は人間の首元に口付けた。
途端にびくりと人間の身体が弾んだが、吸血鬼は今までの優しさの欠片もない強い力でそれを抑えた。
「いや、た、助けてっ!!」
「…『君』じゃないなら……いらない」
恐怖に暴れる身体を抑え、吸血鬼はいつかの言葉をなぞる。
その双眸は穏やかな色でありながら、刹那攻撃的な強さで煌めいた。
「ひ、…ゃ、ぁあ……!」
亡き恋人を探しさ迷う憐れな吸血鬼は、白い肌に牙を立て溢れる生き血を不本意に貪った。
びくびくと痙攣する肢体。次第に血色が悪くなり白さを増す肌。
牙が肉を貫き、紅の体液が喉を潤し、力が満ちていく充実感。
それでも尚、満たされぬ何かに心の中で舌打ちする。
(…彼の血に比べれば味も香りも格段に劣る)
理解はしている。そう、何かが足りないのではない。
何もかもが足りないのだ。
「…、……っ!………。」
人間は僅かな抵抗をする力もなくなり、死の恐怖に涙を溢した。
つぅ、と涙が頬を伝い落ちたと同時にその身体は意識を失った。
痙攣が止まり、力は抜けた。
微かな悲鳴もなく…あまりに静かな『死』だった。
首からは未だ鮮血が垂れ、流れを無視された血管が浮き出たままだ。
「…脆いね、人は」
牙を引き抜き手の甲で血を拭う。吐き捨てるような台詞は闇に消え、ただ口元の微笑だけが妙な雰囲気を醸し出していた。
ほぼ同時に、先程まで生きていた人間はまるでゴミのように乱雑に投げ捨てられる。
「もういい…後は好きにしろ」
不満の色の強い低い声で、吸血鬼は眷族(従者)である蝙蝠たちに告げた。
それを聞いて待機していた蝙蝠たちはハイエナのように死体に群がる。
「少し出る。それはちゃんと始末しておけ」
主の命令に、人には聞こえない高さの鳴き声が返事した。
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