薄桜鬼

□迎え梅雨の日
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御陵衛士が新選組と袂をわかってから、暫くの時が経った。

始めの内は急に仲間がいなくなって、戸惑っていた隊士たち。それでも最近はすっかりとまでは言えずとも、それなりに慣れたようだった。
千鶴も、ふとした時に寂しそうな顔はするが、何より体調の優れない総司が心配な様子だ。

一方で有処は、少し前から勘定方に出入りするようになっていた。
ひたすら黙って算盤をはじいて、仕事を手伝っているらしい。

同室の千鶴の話では、今はもう、普段と変わった様子はないという。
だけど、そのことが余計に心配だとも。


乗り越えたとは、思わないから。



迎え梅雨の日



そろそろ梅雨入りかと思いきや、昨日までの曇り空が嘘のように、この日は晴れ渡っていた。
暑い日差しはじりじりと肌を焦がし、ところどころに残った水溜まりが、鋭い光を反射する。

朝だからまだ、日陰はそれほど暑くないものの、昼過ぎには汗が止まんねえだろうなぁと、原田は軽く息を吐いた。

軋む廊下を歩いていると、縁側で静かに佇む人影を見つける。
原田は少し驚きながら、その人物のもとまで歩いていった。


久しぶりだった。彼女が何もせず、ぼうっとしているところを見るのは。

ここ最近はずっと、それこそ“何か”を振り切るように、忙しなく動き回っていたのだから。



どっかと隣に腰を下ろす。
有処は反応することもなく、静かに空を見上げていた。
原田は横目で有処を見て、同じように空を見る。

あまり風は感じないのに、雲が流れていくのは速い。

あっという間に、見ている景色が変わっていく。


「あの人がいなくなっても、」


どれだけの時間が過ぎたのか。
雲の形がすっかり変わってしまった頃、有処がぽつりと呟いた。


「空の青さは変わらないんですね」
「…………。」
「風の感触も、雨の匂いも。お腹もすくし、動き回ったら疲れるし。何も、変わらない。……そんなこと、当たり前、ですね」


原田は有処に目を移したが、彼女は原田を見ようとはしなかった。

相変わらず空を見上げて、千切れていく雲を目で追っている。


「変わらない。変わらないけど、……前みたいに、いいなあって、思わないんです。今日は晴れてるなぁって、風強いなーって、ああ、雨降ってきたって。それ、だけ、しか。綺麗だな、素敵だなって、思えない。今までみたいに、この感動を形に、とか、ほかの誰かに、伝えたいとか……思わない。わたし、わたし、は、」





声が震えた。
か細く、悲しく。






「平助さんの隣で見る世界が、好きだった……」







悲しく掠れた、有処の言葉に目を伏せた。

痛々しく顔を歪め、透明な雫を溢す姿を、……見て、いられない。


原田はそっと彼女を引き寄せて、細い体を胸に抱く。
有処は抵抗こそしないものの、決して、体を預けようとしなかった。

苦笑して、赤子をあやすように、ぽんぽんと優しく背を撫でる。


「ご、ごめ……ごめ、なさい、よごれ、ちゃう」
「気にすんな。ひとりでこっそり泣かれるより、ずっといい。吐き出したいだけ、吐き出しちまえ」
「……っ、〜〜。……わた、わたし、私、」
「おう」
「わたしのこと、大っ嫌い……っ!」
「…………。」
「い、いかないでって、いいたかったのに!なんで、言わないの……っ!こんな、あとで、いまさら!な、で、すきにしていいよって、わたし、いって、……っばかじゃないの、うそつき……!ほんとは、――ほんとは、ずっといっしょに、いたかったのに……っ。ふ、ぇ、うあああああ……っ」


本当に、お前は大馬鹿者だ。


今だってこんな風に泣いてしまうくらい、あいつのこと好きなのになあ。
決して今、俺に寄り掛かろうとしないように、有処がすべてをゆるせるのは、ただ一人平助だけだった。
それを自分から手を離して、背を押して。
姿が見えなくなってから、想って悔み、泣いたって、もう今更届かないのに。


なんで残ったのか知ってるよ。
いくらお前が監視対象だからって、伊東さんについていくくらいなら、無理すりゃ何とかなったかもしれないのに。
……親父さんとお袋さんに、申し訳が立たなかったんだろ。
ここを離れたら、もう二度と、ふたりの死の理由は探せないから。
何も教えてやれないことすら、俺たちはお前に言えないのに。

俺たちの所為で、お前の人生めちゃくちゃだな。

いつも、出かけて帰ってきたら、部屋に戻ってずっと上生菓子の意匠を考えてた奴が、どれだけの間、作っていない?
職人じゃなかったのか。誇りを持ってるんじゃなかったのか。

……全部、失くしてしまったのか?

汚してしまったのか。
捨てさせてしまったのか。




俺たちは京の人間を、守るために来たのになあ。







「有処……」
「ごめ、なさ……っ。さいごに、するから。ちゃんとまえ、むくから。だって、決めた。……じぶんで、決めた。もうやめなきゃ、わたしも進まなきゃ、だってやらなきゃいけないことが、あるのに。とまってちゃ、だめなの……っ」
「…………無理に折り合いつける必要なんか、ないんだぜ」
「……だめ……です、これ以上は……。こんな風に、ひきずってるの……自分で、自分が、ゆるせない……のに。こうやって迷惑かけるの、……いい加減にしなきゃって……、おも……て…………」


段々と、有処の声が小さくなる。
名前を呼んでも、返事は返ってこなかった。

閉じられた瞼。
見た目からはわかりにくいけれど、あまりにも軽い体が、彼女の疲労を示していた。

抱き上げて部屋へと運ぶ。


願わずにはいられなかった。

きっと目が覚めたら、未だ血の止まらない傷をそのままに、無理やり前を向く有処のために、自分ができることは何もないから。




どうか彼女が、優しい夢を見られますように。




***



「ねー、まってよ」
「おまえがおそいんだ。これ以上はまたない」
「そういうけど、いつもあたしのことまっててくれるよね。えへへ、だからあたし×××すき!」
「……うるさい」
「あっ、ねーねーあそこ?あのおっきい木?」
「そうだ。あれがおまえの母上が言っていたさくらの木だ」
「すごーい!おっきー!ね、もっとちかくいこう!×××、おいてっちゃうよーっ」
「……これだから、こいつのお守りはいやだと言ったのに」
「この木、のぼってもいいかなー?!」
「ぜったいにだめだ。登ってみろ、オレはおまえを置いて里にもどるからな」
「えっかえっちゃやだあ!」
「……登ったらだと言っただろう。大人しくしていれば、まだしばらくここにいてもいい」
「ほんと!」
「ああ」
「ありがと、×××!」







その日、有処は懐かしい夢を見た。

起きた時には、すべて忘れ去っていたけれど。





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