夢をみるひと

□星の首飾り【1】
1ページ/1ページ




▼▼▼▼▼


ユタカの突然の訪問から、数日後。
千鶴の様子が、どうもおかしい。

おかしいと言ったらおおげさかもしれない。取材の後に毎回かわしていた他愛のない雑談や、ちょくちょく差し入れてくれた食料が、急になくなったくらいで。

なくなってみて、初めて気が付いた。
彼女がいないと口を開くのは必要最小限になり、何も考えずサッカーばかりして、ろくな食事もせず、気が向いたときに眠りにつく。
まるで、この国に来たばかりの頃の自分に逆戻りだ。
こんなんじゃいけない。遥々会いにきてくれたユタカと向き合い、決意を新たにしたばかりなのに。

さっそくオートロックのマンションに引っ越してメイドを雇った。衣食住をきちんと整え、仕事に専念しよう。鍵を壊されたり、誰かが勝手にベッドに潜り込んでくる心配もなく、綺麗に磨かれた部屋は快適だ。栄養もしっかり計算されたあたたかい食事は、なぜかあまりうまくなかった。
思い立って電話をしてみると、千鶴は帰国中だという。きっとまたすぐに出張してくるんだろうけど、今までだったら、帰る前に声をかけてくれたのに。


電話を切るとほぼ同時、メールが届いた。
彼女のことをぼんやり考えたまま、差出人も確認せず開く。

『仕事行ってくるね。キヨも試合がんばって。』

思わず携帯を取り落とし、グラスの水も床にぶちまけてしまった。

メールはユタカからだった。

本当に、夢みたいだ。
ユタカが会いに来てくれた。
あんな酷いことをして勝手に町を出て行った自分のもとへ、会いに来てくれたのだ。
勉強や就職で大変だろうに、何時間もかけて海を越えて。そして、「ずっと一緒だ」と、そう言って手を差し出してくれた。


深呼吸をひとつして、手帳代わりにしているスケッチブックを取り出す。
この国に来たころから続けている、戦術やアイデアを書き留めたものだ。そうだ、ユタカの言う通り、試合はもうすぐなんだ。次の対戦相手のメモを探して、ページをめくる。

乱雑に書き連ねた字や図の余白に、いくつか落書きがあった。勝手に描いた、千鶴の横顔だ。
いつ描いたんだっけ。
よく覚えていないが、スケッチブックの中の彼女はどれも、穏やかな表情を浮かべている。
思えばいつもこうして、一緒にいてくれたのだ。

仕事抜きで最後に会ったのは、たしか引っ越す前、ユタカがいた夜。ほんのわずかな時間だったし、特別いやな思いをさせた自覚は無い。
しかし、あの時のようにおれはまた、何かやらかしてしまったのだろうか。






▽▽▽▽▽▽▽


びっくりした。
キヨちゃんが電話をかけてくるなんて。
携帯電話なんかいつも、充電も切れたまま家に置きっぱなしのはずなのに。

『そうか、今日本にいるのか…』
「うん、どうかしたの?」
『いや…レイシー達からケーキ貰ったから、いっしょに食べないかと思って』
「へー、いいねぇ!残念だけど、また今度だね!あれっ、でもキヨちゃん、甘いもの食べれたっけ?」
『でも、ちぃは好きだろう』

耳に心地よい、低い声。彼はいつも言葉少なで、あまり抑揚もなく話すため、そこから心情を推し量るのはなかなか難しい。だけどなんだか元気がないように感じられたから、わざとおどけた口調で聞いてみる。

「なぁに、キヨちゃん。もしかしてさみしいの?」

からかうようにそう言うと、うん、と素直な声が返ってきた。

『はやく帰っておいで』

それだけ告げると、彼は無造作に通話を切った。

あっけにとられているうちに再び電話が鳴る。
今度はレイシー。
仕事を通じて知り合った、親しい友人だ。異国での暮らしに馴染むことができたのは、底抜けに明るく、にくめないおせっかいな性格をした彼女のおかげだった。
今日も夕食に誘ってくれたのだが、残念ながら行くことができない。

『えっ、日本に帰っちゃったの?!どうして?!』
「うん、仕事でね」
『そんな…!千鶴、考え直して!あなたがいなきゃ、キヨは駄目なのよ!あなただってそうでしょ?!』

あまりの勢いに気圧されつつも、話を聞いてみるといつもの勘違いだった。
彼女は以前からずっと、私たちを恋人同士だと思い込んでいる。

「あのねレイシー。何度も言っているように、キヨちゃんと私は友達だよ」
『千鶴はいつもそう言うけれど、どう見たってお似合いのカップルだわ!みんなだってそう言ってるわよ』

ずいぶん前から繰り返しているやり取りだが、英語がつたないせいなのか、「やっとキヨに、すてきな恋人ができた!」と喜ぶレイシーはどうにも聞き入れてくれなかった。でも、今回は電話越しで辛抱強く伝えることができたためか、少しは信じてくれたようだ。

『そうだったの…。今帰っているのは本当に、日本での仕事があるからなのよね?』
「うん。とにかく、ケンカなんかしてないから安心して。キヨちゃんは大切な友達だよ。来月には戻るから、またみんなで食事でもしましょう。楽しみにしてる」
『そう…そうよね…うん、どういう関係性であれ、ふたりが幸せなら私もうれしいんだけど…』

ものすごくがっかりした様子のレイシーの声。
なんだか申し訳なくなってくる。と同時に、なんだかおかしくって噴き出しそうになってしまう。
私たちは友達だ。恋愛感情なんて、彼にはこれっぽっちも無い。前に、「ちいって本当に、オダシマみたいだな…」と言われたことがある。オダシマアツシくんは、キヨちゃんの親友で、筋骨たくましい現役サッカー選手。つまり私は、女性としてなんてまるで見られていないのだ。
一度、日本の週刊誌にツーショット写真を載せられたことはあるけれど、あれは悪意に捻じ曲げられた誤報だ。
街で偶然会ったからちょっと立ち話をした、それだけのこと。私たちには恥ずべきことも、申し開きすべきことも何もない。報じられていないだけで、キヨちゃんは高校の後輩たちと連れ立って歩いていたし、私は恋人と一緒にいた。


電話を切ったあと、パソコンを起動してノートを取り出す。
髪をかき上げ、一呼吸。さて、仕事に集中しよう。

取材中のメモや気づいたことの走り書きの合間に、自分以外の筆跡が目についた。英語やスペイン語で書かれた、キヨちゃんの字だ。たぶん、外国語の綴りがわからなくて、説明してくれたときのものだろう。
ノートをぱらぱらとめくると、彼の気配はあちこちに散見された。崩れた文字の他に、落書きなんかもあった。思えばいつもこんな風にして、一緒にいてくれたのだった。

恋人、ではない。

性別も年齢も違うけれど不思議と意気投合し、異国の地で仕事をしているという同じ境遇のもと、手を取り合っている仲の良い、友達。
仲間、といった言葉もふさわしいかもしれない。

ちゃんとごはん、食べているかな。気になっていたけれど、帰国前、私は彼に会いに行かなかった。
仕事がなかなかうまく進まず、少し慌ただしくしていたせいもある。

…あ。

なるほどそうか、そういう理由か。わざわざ電話をかけてくるなんて、めずらしい行動に出たのは。

こういうことは、実は以前にも一度あったのだ。

あの時のようにきっとまた、ひとりで何か考え込んでしまったんだろう。千鶴を怒らせるようなことしたかな、傷つけてしまったのかな、などと気を揉んで、不安になったに違いない。
電話の寂しげな声を思い出したら、なんだかもう堪らなくなってしまった。ああ、からかったりなんて、するべきじゃなかった。

「大丈夫だよ」って、言ってあげたい。

あの時の記憶はすっかり消して、無かったことにしたつもりだった。
けれど、声やにおいは今もなお、こんなにも色濃く胸に残っている。





----------------------------------

 → 

----------------------------------

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ